こんにちわ、番頭役のむろかつでございます。昨日・一昨日と最新の2024/08月例会「第7回精霊流しステークス」の報告記を更新できまして、今日は一応お休みということにしてます。そのかわりに【雑記】のカテゴリーでコラム的な事をつらつらと…。
今日8月23日は創立メンバーの「ガソダム」氏の誕生日です。
早いもので2018年1月に亡くなってから6年半の時間が経過しておりますが、今日は創立メンバーの「ガソダム」氏の誕生日になります。生きていれば今年で51歳。44歳という若さで急逝してしまったのですが、「果たして50代になったガソダム氏はどうだったんだろうな」とたまに考えることもあります。かくいう私は今年の11月に50歳を迎えるのですが、とっくにその享年を追い抜いてしまいまして…。
↑ガソダム氏の生前最後の岩Q槻例会は2017/12月例会でした。この時のメイン企画は「たほいや」。T.本山さんとチームを組んで優勝しておりました。なおこれがきっかけで毎年12月例会は「ガソダム記念」というG1企画を開催しております。
何よりこのガソダム氏の存在は最も大きかったのは、
初年度(2017年)は、今のような公共施設ではなく岩槻のガソダム氏の自宅ビルの3階にある「フリースペース」で定例会を開催していた、ということでした。
もともとガソダム氏の実家は「竹内酒店」という岩槻では五本指に入るぐらいの老舗および大きな酒屋さんで、このお店のビルを30数年前ぐらいに建て替えた際に、3階にいろんな集まりができるようなフリースペースを作ってまして(後から聞いた話では業界の人たちとの利き酒大会とかも計画されてて奥には1階の倉庫からダイレクトにつながっている荷物用エレベーターもありました)、日頃はダンスサークルさんの練習場や町内会の内輪の会合などで使っていたようです。
そして今の公共施設だと全く不可能な話ですが、ここはあくまでも「人んち」なのでこの酒屋の1階の横にあるアルコール類の自販機で都度都度お酒を買っては、
↑呑兵衛の三好さんなんかは昼間から酒飲みながらクイズをやってました(笑)
※でまた、三好さんは「酒呑んだほうがクイズに強くなる」という稀有な人で皆から「おめーは酔拳か」と(以下略)
そして上記の2017年12月例会では、忘年会とクリスマス会を兼ねてデリバリーのピザを注文したり、駅前のマルエツでお惣菜・おかず・飲み物・おやつなどを買って昼間は大盛り上がりしてました。岩Q槻はもともとは5-6人ぐらいでわいわいと盛り上がるようなサークルというのを前提で立ち上げたのですが、初年度から殆どの例会が8-12名ぐらい来たという「想定の倍の参加者が来る」という予想外の盛り上がりを見せておりました。
で、この12月例会のほぼ1ヶ月後にガソダム氏が急逝しまして「いやーこれでは岩槻ではクイズ例会は無理だなあ」と、さすがに今までのガソダム氏宅のフリースペースを借りる気にもなれず、それでは都内とか神奈川県などでも移転を考えようか…と思ってたとこに、とある知り合いの方が「岩槻駅前に使いやすそうな公共施設がありますよ」と教えてくださいまして、急遽、ひっさつ会長とそこに訪れて団体登録をして2018年4月から使い始めたのが現在もメインで使っている「岩槻駅東口コミュニティセンター」でありました。
「人生の後半生でもわいわいと楽しめるように」←これは変わりません。
ところで、このガソダム氏と私は「岩Q槻」を立ち上げる前に2016年まで20数年間参加していたクイズやゲームをやるサークルに参加しておりました。
ここでは、「岩Q槻」の創立メンバーとなった、ハマクドーさん・ひっさつ会長・三好副会長(そして奥様のキヨミさん)も主要メンバーかつ常連メンバーでして、私は2016年3月末代替わりと共に就任した新しい執行部の人たちとの意見の相違で6月にはいの一番辞めてしまいました。その半年後ぐらいに、どうもひよしコンビやガソダム氏などもサークルを離れたり、ハマクドーさんに至ってはその新しい執行部から企画を干されている…という話を聞きまして、「前のサークルとは違い、今後の後半生で長く楽しめるような数人の小規模で良いから、クイズやゲームをやりながらバカトークで盛り上がれる集まりを作れないかしら。しかも誰も決して無理をせずに」と私がガソダム氏に相談しつつ、以前からガソダム氏から「うちの酒屋の上にフリースペースがあるんだけど、たまに使う?」と言われてたので「下見」しに行ったのが、直接的に岩Q槻が立ち上がるきっかけでした。
ただし正直言って前のサークルでほとほと疲れて最後は極めて嫌な思いをしたので、自分自身が50代に入った後(この時点では当時42歳。今年秋に50歳になります)に、昔なじみの面々と小さい集まりでも作ろうか…という与太話はハマクドーさんとかとよくしてたのですが、上記の状況を聞きまして「じゃ、少し予定は早まるけど、新しい集まりができるかどうか考えよう」という流れになったのが、2017年春に「岩Q槻」を作るきっかけになったのでした。結果的にはガソダム氏がこんなに早く亡くなるとは全く予想すらしてなかったのでそれは自分自身の人生の選択・チョイスの中では五本指に入るほど「ジャストタイミング」だったなと今でもそれは強く思ってます。
で、私がもともと「新しい集まりを立ち上げる際」にイメージしてたのは、「子供の頃、友達んちで集まってファミコンやらカードゲームやらを何も考えずにわいわいと楽しんでた」昭和の頃の私が住んでいた成田ニュータウンの団地の風景でした。小学校時代からの幼馴染だった友達んち(分譲団地の1階でした)が本当に「いつも20人近い数の、いろんなガキが屯(たむろ)してる」とこでして、その幼馴染の同級生だけではなく、弟さんの友達や、同級生でガキ大将をやってる奴もいてそいつを慕っている子分の年下の子どもたちも…で、あとはなぜかうちの弟なんかも私が不在な時にちょくちょく行ってはパシリをやらされていてその御礼で安いアイスクリームとかもおごってもらってました。
でもかといって「無制限に」ファミコンとかで遊べたかといえばそうでもなく、毎回小1時間ほどで幼馴染のお母さんが「そろそろ外で遊んできなさい」と叩き出されるようなお宅でして、意外にボール遊びやおにごっことか壁当てみたいな外の遊びもやってました。まさにファミコンの高橋名人の「ゲームは1日1時間!!」を地で行くような友人宅でした(笑)。ま、そんな友人間で好き嫌いや相性の問題で仲が悪いみたいなこともあったようですし、他のグループを作って別のとこに遊びに行くという人もいましたが、概ねわいわい仲良くノートラブルでいい時間を過ごせたなと、昭和50-60年代の古き良き思い出として残っているのも事実でしたね、本当に(笑)。そういう光景が今の岩Q槻のサークル例会の「原点」だったりします。
なので、実は「岩Q槻」は最初は「クイズ(・ゲーム)サークル」として立ち上げるつもりはまったくなく、「親しい仲間同士でわいわい人生の後半生、そして老後でも楽しめるような集まり・寄り合い」が初期コンセプトでした。これが「サークル」としてちょいと組織ばって運営することになったのは、まず最大のきっかけとしては「初回の例会から想定の倍の、12名も集まってしまった」ことでして、「どうもここの岩Q槻という集まりでも、新しい人は来るかもしれない」「だったら一応、お知らせと例会報告はしっかりと記録に残して思い出づくりにしよう」と気付いたことでした。あとは前のサークルが「ガチでクイズをやる派」が主導権を取り、前述のとおり「クイズやゲームをわいわいと楽しむ派」が隅に追いやられたり企画を干されたりして、結果的に「クイズやゲームをわいわいと楽しむ派」の人たちの受け皿が岩Q槻になった、というのもあったようです。
更にLinerさんやKavaさんと言った岩Q槻のほぼ初回から参加し早押しクイズ以外のおもしろいバラエティ企画も提供してくださってるのもかなり大きいですね。「企画はなんでもアリです。そしてリアクション芸人が揃ってるので(?)盛り上がりにハズレはないです」が近年の岩Q槻のキャッチフレーズでもあります(笑)
※なお「余談」としては、前のサークルの古参メンバーだったジャンボ林原さんが2022年末に亡くなられた際に、一応義理もあるので前のサークルの代表の人に連絡を取ったのですが、「今の我がサークルは、今も名前は同じですが、あなたが25年間仕切ってたサークルとは全く別のサークルですので、もう一切関係ありません」と弔電やサークル内での周知などを一切拒否されたこともあり、私自身も「前のサークル=2016年限りで活動終了および解散、今の某会=名前は同じだが2017年に新しく立ち上げたサークル。つまりは全く無関係。」とその某会の代表の人の言葉通りに解釈してます(なので今は何をやってるのか、活動してるのか等々は私自身は一切知りません)。
その後、ガソダム氏が急逝した後に2ヶ月ほどのお休みをいただきまして、2018年4月から岩槻駅前の公共施設に例会会場を移しまして今に至ります。
今では5-6人…どころか、下手すると四捨五入すると20人(!!)に迫る回も増えました。
現在では三好さんと共に副会長をやっていらっしゃるチヨマルさんは地元・岩槻在住のメンバーではありますが、ガソダム氏が亡くなった後にご新規で入ってきたメンバーでして(更に転勤族だったので幼少時には岩槻には住んでおらず、ずっと岩槻在住のひっさつ会長・ガソダム氏とも面識はなかったそうです)、更にくうちゃんさん・山田はまちさん・かよちんさん・ほしまるさん…あたりの常連メンバーの皆さんもこの岩槻駅前の公共施設に移動してからの常連メンバーでして、むしろ「ガソダム氏と直接サークル等で会った人たち」の方が少なくなってきたぐらいでした。いやーチヨマルさん。回を経るごとにその自然体なキャラクターがどこかで「どでかいミラクル」を一発かましてくれるようになりまして、三好さんの奥様のキヨミさんともども実に楽しい愛されキャラになっているのが凄いなーと感心しちゃっております(笑)
で、私自身はあえて…というか、クイズ企画やゲーム企画、そしてお昼休みのバカトークの場面では、意図的に「ガソダム氏がいた頃の岩Q槻と前サークル時代の思い出(基本的にはおバカなネタが殆どです)」をしたりもしてます。やはり創立メンバーでもあり、岩Q槻が始まるきっかけになったのはガソダム氏がいてこそ…なのは言うまでもないのですね。そして私(むろかつ)とガソダム氏と共に「3バカ」と呼ばれていて、この手のバカトークな思い出話には必ず登場した組合サトー。氏も昨年春に50歳の若さで亡くなってしまいまして、
↑Linerさんの「近似値グランプリLive」シリーズでは、必ず「ヒグチ薬局のCMの”目標1327店”→1327」を書いてよくかぶるのは最早お約束でした。そしてハマさんも(爆)。
でもこの「バカトークの思い出」が新しいメンバーの皆さんには意外に好評なようで、「なるほど岩Q槻はそういうコンセプトでわいわいとクイズやゲームを楽しんでいるのか」と好意的に理解してくれてるのはありがたいなーといつも感謝している次第です。
ま、旧友の誕生日を迎えて、また岩Q槻の原点に還って改めていろいろと考えてみて、他の(競技系?)クイズサークルさんとは一線を画し、「いつもどおりワイワイとクイズやゲームをのんびり楽しむ」ようなサークルを今後も続けていければと思います。
最後にガソダム氏、誕生日おめでとさんでした。以上です。
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