【追悼】「岩Q槻」の名付け親(?)の、組合サトー。氏を偲んで…。




こんにちわ、番頭役のむろかつでございます。

今回の2023年5月例会の「座・ムダ長文」企画は昨年12月に亡くなったジャンボ林原さんと、今年3月31日に訃報に接した組合サトー。の両氏の追悼企画としても開催されました。後日、8月例会のハマさん企画「精霊流しステークス」でもこのお二人の追悼企画的な形で開催されるそうですが、今回は私自身の思い出と共に組合サトー。についての追悼記事を書かせて頂きます。

旧友・ジャンボさんが亡くなったため、約一週間のお休みをいただいておりました。

2022年12月27日

↑なおジャンボさんの追悼記事はこちらになります。

4月1日に「前日に亡くなった」という組合。さんの訃報に接しました。

岩Q槻はどちらかといえば40-50代の面々が中心となるために、後述しますが2016年まで25年間参加してた前のサークル時代のように20-30代が中心だった頃は「メンバーの親御さんが亡くなった」という話はたまにあったのですが、これが40-50代になると「メンバー本人が亡くなった」という話を聞くようになってきました。これも加齢ということもあるんでしょうが、少なからず持病も抱えたり…で、これもまた「年をとった」という実感をひしひしと感じる瞬間でもあります。

その組合サトー。氏が亡くなったという訃報に接したのは4月1日の朝でした。これは組合サトー。氏の義理の弟さん(組合。さんの妹の旦那様にあたります。この人とも私自身は長らくさだまさしファンとしての付き合いがあった方でしたが、最近はあまり交流がありませんでした)から、私にとってはさだファンの世界では兄貴分・姉貴分としてお付き合いさせてもらってます(勿論組合。さんとも交流のあった)関西のお友達の方からTwitterのDMで「こういう話が来てるんですが、ご存知でしたか?」というお話をいただいたのがきっかけでした。つまりは組合。さんの義弟氏→関西のさだファンのお友達→私というルートで話が来てたわけですが当然、全く知ることもなく「…マジか?」と絶句してしまった次第でした。どうやら癌を患っていて入院されてたそうです。

その組合。さんはさだまさしのファン繋がりと鉄道好きの繋がりで知り合いになりまして、岩Q槻の前身団体である「成田さだまさし研究会」という名前のさだまさし氏の深夜番組のリスナー仲間のサークルの頃に知り合いになりました。

「成田さだ研」は元々は名前の通り「さだまさしファンのオフ会orさだまさしの深夜番組のリスナー仲間のオフ会」なサークルだったんですが、始まって半年足らずで熱心なさだファンの会員がことごとく幽霊会員となり、残った面々が地元の公民館の会議室などを借りて集まりつつも、「さだに飽きたから」という事で「なんかやる事ない?」って流れで少しずつ屋内ゲームやクイズのサークルになっていきまして(器用なメンバーが秋葉原の電気デパートで部品買い集めて本当に早押し機を作り上げた時には本当にびっくりしましたねー(笑))、更にガソダム氏・ひっさつ氏が活動していた「春日部さだまさし研究会」の面々と合同例会をやるようになったり、組合。さんや三好さん、本山さんが活動していた「グッたいむさだ研(現在の「時刻表友の会」の前身団体になります)」とも合同例会をやるようになったり…で、「じゃあサークルやるなら、成田よりかは都内のほうがいいよね」と活動8年目に2000年に成田から都内江戸川区に活動場所を移転し、更に2002年の10周年で「さだ研」の看板を外して「うきゅー→えどきゅう(「江戸川クイズ本舗」が正式名称でもあります)」という名前になり、2016年6月に私が退会するまで定例会約300回・おおよそ25年間続いておりました(なお私が退会してからは、会の名前はそのままにしつつも、かなりの部分でサークルの活動趣旨を変えて、更に大幅なメンバーの入れ替わりもありましたが今も活動しているとのことです)。

なお一応、「岩Q槻」から見て今(岩Q槻が立ち上がって以降の2017年春よりも後の)の「えどきゅう」は別の団体ということにしておりますが、えどきゅうでは私の退会とほぼ同時に年間ポイントレースやタイトル戦などを全てやめてしまったそうで、一方「岩Q槻」では、メインレースとしてカウントしている「御大杯」(ジャンボさんの単独企画でした。で、岩Q槻では去年までは10月の「新・御大杯」でしたが、昨年末にジャンボさんの訃報に接して改めて5月例会に「御大杯」としてリニュアルしたのでした)や6月の「MJCC」、そして2月14日の組合。さんのお誕生日を祝った(?)2月の「滑稽節杯」は岩Q槻の方にそのまま「移植」して(?)今に至ります。

そんなわけで組合。さんとは1995年以降おおよそ25年ちょっとの付き合いでした。彼と仲良くなったきっかけはお互いにさだまさしが好きで、鉄道ネタも好きで(組合。さんはJR某社の鉄道の運転手で、バリバリの労働組合のメンバーでもありました)、更に同じ千葉県出身ということもありました。私の父親の故郷が千葉県佐原市(現在の香取市)、組合。さんのお父上の故郷がその近くの東庄町ということで、「ねえねえ、千葉県の方言で「ふざけるな」ってのを「ふざけろ」って言いますよね?」「ああ、確かに確かに」みたいな事で盛り上がったり、彼の場合は鉄道の運転手で出勤時間・勤務時間が不規則な代わりに、出勤前にふらっとサークルの例会に立ち寄ったり、その逆で仕事明けに夕方ふらっとサークルに立ち寄ったりということが多かったのです。そして私同様、時事ネタとかきわどいネタが大好きで、いるだけで盛り上がるムードメーカーだったので、たまに前のサークル時代に定例会の最後の方にアポ無しでふらっと立ち寄っただけで参加メンバーが大盛りあがりという実に「稀有な」人でもありました。

なおハンドルネームとなった「組合サトー」って命名したのはどうも私だったようですね。ちょうどインターネットが大普及する前後の頃で、特にこの界隈では、本名で呼び合うよりかはハンドルネーム、もしくはそれに近い愛称で呼んだほうがいいだろうとなった時代で、私が呼び始めたのは「JR某社の組合員のサトーさん」略して「組合サトー」と、もしくは「組合」と。これが周辺のメンバーに思いっきり浸透しまして、後年、モーニング娘。が大ブレイクした後になぜか自ら「組合サトー。」と「。」をつけるようになってました。

更に凄かったのは、サークルでの初対面だった参加者の人に「あー、あなたが組合さんですか?噂はかねがね聞いてます」と挨拶されて「おいむろかつ、何を言いふらしてんだ俺のことを!!」ってツッコまれたり(「あなたが組合。さんですか?」はその後、約15年に渡って、うきゅー→えどきゅうで新メンバーが入ってきた際に組合。さんに挨拶するお約束と化してました(爆))、そして基本的には私自身はサークルのメンバーを実家に連れて行くことはめったに無かったんですが、組合。さんはたびたびうちにも来るようになりまして、2004年秋の私の結婚式の時には、サークルのメンバーだった妻や弟は別にしてもうちの両親や妹などからも「あなたが組合。さんですね?」って挨拶をされて「なんでむろかつんちは全員で俺のことを覚えてるんだか」と苦笑いしながらぼやいてたのを今でも覚えてますです(^_^;)

↑2004年の結婚披露宴の時の写真。既に疎遠になった人や、そしてジャンボさん・ガソダム氏・組合。氏など既に亡くなった人もいて「二度と集うことのないメンバー」にもなっております。ついでに書くと、この披露宴では組合。さんが、二次会では三好さんがアポ無しで乾杯をやらされてました(^_^;)

組合。さんだからこそ「明るく送ってやりたい」と。

なお組合。さんの通夜・告別式などはご身内のみの家族葬で執り行われたそうです。

これはFacebookだけでも300人近いご友人が居て、さだまさしファンに限らず、仕事関係・労組関係・その他酒飲み関係などなどのお友達の数とその幅の広さがあまりに凄すぎて、ご身内からしても「どこまで呼んでいいのかわからない」と判断したのかもしれませんね。もしくは「もともと湿っぽい話が好きではない」組合。さんが生前にそれをご身内の方にお願いもしてたのかもしれません。

私自身はたぶん最後に会ったのは2000年だったか2021年だったか(mixiやLINEのグループでは頻繁にやりとりはありまして、亡くなる一週間前にもあったほどでした)。仕事前に岩槻駅の集合場所(2023年2月例会よりも前の定例会が午後・夜間の頃は岩槻駅の改札前で1次集合しておりました)に来てくれまして、改札前でいつも変わらぬバカトークをしてた思い出があります。ゆえに、岩Q槻や前のサークル界隈、更に時刻表友の会の界隈で一番最初に訃報に接したのは私で、私が情報を流さないと誰も知ることが出来ない…ということでmixiを中心にお知らせを流しまして、

その日の午後に自分のブログにも「訃報に接してしまった」という記事を書いたのでした。

…ま、本音を言わせてもらいますと「さすがに組合。の訃報は信じられん。今日は4月1日。実はエープリールフールのネタでしたーって組合。の義弟のたちの悪いジョークだったらどんだけ良かったのに、そして組合。本人が「俺、義弟に死亡説流されたべさ、ふざけろテメー。」と出てきたら俺たち本当に救われたのに」という気持ちが強かったですね。それが「ああ、本当だったんだな」と諦めモードになったのが、訃報の数日後ぐらいから組合。さんのFacebookのページに、追悼記事モードになった事と、さだファン仲間以外の酒飲み仲間や労働組合関係のお友達がお悔やみの記事やコメントを次々と書き始めたことでした。

と同時に「岩Q槻ブログでは、ガソダム氏、ジャンボさん、そしてキング先生…と、追悼記事を書いてきたけど、この組合。の記事だけは書くのはさすがに辛いな」と。キング先生はご家族の方からTwitterのDMで直接訃報のご連絡を受けたことと、ガソダム氏・ジャンボさんは実際に告別式にも参列させてもらって「直接のお別れ」ができたからこそ記事を書いたわけですが(ちなみにガソダム氏の際には通夜・告別式に参列し、弔事も読ませていただいた上に火葬・骨上げ、更に納骨・一周忌まで参列させていただきました)、どうも組合。さんの訃報は「信じたくない」という気持ちがあまりにも強すぎて、「うーん、これは心の整理をつけなくては書こうにも書けないな」と思ったわけですね。

で、この訃報を受けた翌日の4月2日がたまたま岩Q槻の例会でして、ひっさつ会長や三好さん、ハマクドーさんなどもう組合。さんと10-20年級の付き合いのあった旧知メンバーとも話をしまして、「とりあえず5月の御大杯の「座・ムダ長文」で組合。さんとジャンボさんの追悼企画的な問題を作って出すんで、追悼記事はその報告記を書いてからにしたいんですけどね」と言ったところ、「バカ問題を出すんだね?そりゃ組合。さんらしくてちょうどいい。きっと彼も喜ぶだろうよ(笑)」と予想以上のご賛同を受けた…という次第でした。

故に4月例会と5月例会は「意図的に、組合。さんを明るく送り出そう」ということになりました。私なんかは「組合。のヤロー、わざわざタモリ倶楽部の最終回と同じ日に死ななくてもいいじゃねえか。しかも最終回を見ずに逝くとは」とか言ったりして、

5月の「座・ムダ長文」では「空耳アワー」の「農協牛乳」のネタをぶちこんできたりと(爆)

そしてこれはたまたま偶然だったんですが、今月の3RのLinerさんの恒例企画「近似値グランプリLive」シリーズの第1回優勝者って実は組合。さんだったんすね。

↑岩Q槻の第1回例会は、ガソダム氏宅の酒屋ビル3階のフリースペースで開催されてました。

↑そして初代竜王は組合。さんの手に(笑)

それと、前のサークル時代から、私(むろかつ)とガソダム氏、組合サトー。氏の3人で「3バカ」と呼ばれておりました。まあくだらねえネタから社会風刺の放送禁止用語的なネタまでパァパァと喋り倒してまして、前のサークル時代によく覚えてるのがその例会は午後・夜間だけではなく午前中も会議室を抑えてたら、最初に揃ったのがこの3バカの3人で、その後が小一時間以上も誰も来ずに「まあ誰も来てねえけどしゃべり倒すか」と時事ネタとか下ネタで盛り上がってたら、あとから来た人が「なんか会議室の外でも笑い声が聞こえてもう10人ぐらい来てるのかなーと思ったら、お前ら3人しかいないとは」と言われるぐらい大盛りあがりして喋り倒してたのを今でも思い出しますねー。

↑そしてバカ同士で考えることが似てるんで、数字が妙にニアミスするわ、時はおもいっきりかぶるわで(爆)。

そしたらある時、組合。さんがこのガソダム氏とまだ初対面に近かった頃にあっさり意気投合して私も交えてバカトークをやっている最中に、そのガソダム氏が岩槻の酒屋の若旦那をやっている…という事を知りまして、

「岩槻?あの東武野田線のか??…んな岩槻(いわつき)だかいわくつきだか知らねーが

という鉄道好きらしい組合。さんの一言にガソダム氏も「お前、ふざけんな」といいつつも大爆笑、そして私も「ぶははは、岩槻ならぬいわくつきか。うまいねー」と大爆笑しておりました(をい)。これが確か1996年の頃の話だったと思います。学年的には私よりも組合。さんは2つ上、ガソダム氏は1つ上でしたが、お互いに「おい、お前」の関係でしたね。ここに私よりも5つ上の三好さんが加わっても、3つ下の組合。にも、4つ下のガソダムにも「おい、お前」って呼ばれるようになっててそれを鷹揚に許してくれた三好さんはやっぱし心が広いなーと感心しちゃったのも覚えてますが、まあそれはともかく。

その後、その「岩槻だかいわくつきだか知らねーが」の発言から約20年後。2016年6月に私が前のサークルをやめて、その年の11月に岩槻のガソダム氏宅に「新サークルの例会会場の下見」をしに訪れたことがありました。

来春立ち上げる予定の、クイズサークルの会場の下見に行ってきた。(「人生、成り行き」2016/11/11付)

この時に(岩Q槻の例会ではガソダム氏が急逝する直前の2017年12月までは使っていた)ガソダム氏宅の酒屋ビルの3階にあったフリースペースを見せてもらいました。

↑酒屋の上にこんな広いフリースペースがありました。

そしてその帰りに、ガソダム氏に「ところでサークル名何にすんの?」と尋ねられまして、まあ「即答・即決」でしたね、私。

「あー、岩Q槻(いわくつき)にするよ。それ以外にないわ」と(笑)。そしてガソダム氏も薄々予想はついてたようで、「ちっ、組合。のヤローめ。誰がそこでうまいことを言えと」…とニヤニヤしながらひとりごちしておりましたです。

※なお組合。さんは風貌的にも「西船橋のドラえもん」とも呼ばれてましたので、このぷっと吹き出しているドラえもんは実は組合。さんを指してます(失笑)

で、ガソダムが2018年1月に亡くなり、この組合サトー。が2023年3月に亡くなり…で、「まさか3バカで、俺(むろかつ)が最後に取り残されるとは」と思ったんですが、この翌日あたりにYMOの坂本龍一氏の訃報に接することになり、「高橋幸宏・坂本龍一両氏に先に逝かれた細野晴臣氏と同じことになるとは」とびっくりしたものでした。まあ3バカとYMOを一緒にすんな、というツッコミはごもっともですが(苦笑)。

そんなわけで今月の例会企画はジャンボさんと組合。さんを追悼した問題もいくつか出題しました。実際に間接的情報が中心で、ご本人の通夜も告別式も出れずじまいで私も含めて旧知の仲間の殆どは実感は正直乏しいのですが、それでも自分の人生の半分以上の付き合いだった友達・仲間を失った事実は事実として「ああ、もう会うことはないのだろうな」と思うと一抹の寂しさを感じているのは言うまでもありません。最後に組合。さんのご冥福をお祈りいたします。

以上です。

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ABOUTこの記事をかいた人

埼玉県さいたま市岩槻区界隈で活動している「岩槻クイズの会・岩Q槻(いわくつき)」の公式ブログです。年間8-9回ほど「ヌルく」クイズやカードゲームなどで遊んでいる会です。 こちらのブログは主にサークルの「番頭役」のむろかつ(幕張亭ボーリック)が更新しています。