2025/07月例会「スーパーオービスSD」報告(その3:「年齢近似値クイズ編」(2))




こんにちわ、番頭役のむろかつでございます。2025/07月例会「スーパーオービスSD2025」の報告記を連載しています。3回目は午前2枠に開催されましたアッキ~さん企画「年齢近似値クイズ」の2回目の模様をお送りいたします。

2025/07月例会「スーパーオービスSD」報告(その2:「年齢近似値クイズ編」(1))

2025年7月12日

↑前回はこちら。

中盤戦の模様をお送りいたします。

前回のおさらいとなりますが、今回のアッキ~さん企画の概要は以下のようなものでした。

・全20問あります。1問ずつ画像で出題される人物の当時の年齢を当ててください。

・1問ずつ出題されるので、各人ボードに近似値を書いてください。

・そして1問ずつ正解が発表されるので、その誤差も記録してください。

・最終的に20問終了した時点で、その「誤差が最も小さい」人が上位ということになります。

という企画でした。で、各人がボードに各問題の年齢近似値と誤差を記録し上で最終20問目の時点の誤差の合計の少ないほうが優勝、というルールだったもので、これを書いている私(番頭役・むろかつ)は自分のボードの数字しか知りません、それゆえにとりあえず構成上、「私・むろかつはどういう心理で近似値の数字を書いていったか」というのを軸に各問題の紹介をしていこう…というのが今回のアッキ~さん企画の報告記の中身でして、今回が2回目となります。

第2回目は7問目からとなります。なおこの前の6問目終了時点で合計の誤差は「10歳」でした。結果的には優勝したので「かなり良かった」とは思うのですが、現場では他の人の回答はもちろんわからず、そして都度都度、「ぴったりだった」「惜しいー」という声が聞こえてたので、自分のこの誤差は全体的にはどんぐらいだったんだろう…と思いつつも、ま、勝ち負けは別にして1問ずつ楽しんでいけばいいやと思ってプレーしておりました。

さて4問目からは原ヘルス工業の「バブルスター」のポスターに出てた、1990年当時は超一流の売れっ子俳優の皆さんの当時の年齢が1人ずつ出題されてました。

順番では、梅宮辰夫→松方弘樹→北大路欣也…と、続いてまして、連載回を跨いでしまいましたが中盤戦の序盤2問は残る2人の年齢当てから始まることになりましたです。

そんなわけで7問目は、

「山城新伍の当時の年齢は?」でした。

で、私(むろかつ)としては「いやー山城新伍。さすがに50歳にはなってるだろー」と思いつつ、そんな私がこの例会の開催されている2025/07月時点ではその50歳(11月に51歳になります)。「しかしなんだろうこの風格。ほんとに俺と同い年かいな」と苦笑いしながらボードにはサラサラと「50歳」と書いてました。

そしたら正解は、

「52歳」でした(誤差2歳)。1938年(昭和13年)11月10日生まれだそうで、年齢だけでいえば梅宮辰夫と同い年でした。ただし梅宮氏は3月11日生まれなので学年ではひとつ下になるようですが…ちなみにひっさつ会長が今年の4月に52歳になってまして(以下略)

そして8問目は残るおひとりの問題で、

「千葉真一の当時の年齢は?」でした。

千葉真一氏はつい先年までご存命で、2021年8月に新型コロナで亡くなった…という話はどこぞのネットニュースで見た記憶はありましたが、しかし見た目は明らかに山城新伍・梅宮辰夫の両氏よりも、松方弘樹・北大路欣也の両氏の方に近そう。というわけで「47歳」と書いてみました。あとは最終的には離婚しちゃいましたが女優の野際陽子女史(年上女房だったそうですが)と結婚してた時はあんだけ格闘技の使い手なのに奥様にちっとも頭が上がらなかった恐妻家っぷりも(^_^;)。

そしたら正解は「51歳」でした(誤差4歳)。1939年(昭和14年)1月22日生まれだそうで、つまりは学年で言えば山城新伍氏と同級生。ということは再婚してからできた息子2人は(新田真剣佑・眞栄田郷敦)はなんと還暦前後に(中略)という点でびっくりでした(←そこでびっくりすんなw)。

というわけで個人的には「バブルスター」問題6問ではトータル誤差14歳。まあ年齢をジャストに当てることはできなかったんですが、果たしてこの誤差は全体的にはどうなのか…皆目見当もつかぬまま次の問題に入っていきました。

毒蝮三太夫が出てくるだけでバカウケになるのが凄い(爆)

続く9問目はこんな問題でした。

「「ウルトラマン」に出演している小林昭二の年齢は?」でした。まあ岩Q槻の面々は「あ、毒蝮三太夫が石井伊吉の本名で出てる」とツッコミする人が多数でしたが(爆)。

個人的には「仮面ノリダー」で「おやっさん」と呼ばれて出てた印象しかないんですが(なぜか「ウルトラマン」とか「仮面ライダー」とか「機動戦士ガンダム」を一切通らずに子供時代を過ごしちゃったので…後述となりますが「戦隊ヒーロー」シリーズだけはほんのちょっと見てたぐらいでした)、「うーん、意外性を求めるとしたら、40歳には行ってなさそう」という予想で「36歳」としてみました。これだと「仮面ノリダー」に出てた頃が約25年後として60歳をちょっと過ぎた頃で年齢的には帳尻がちょっと合いそうだな、とも。

そしたら正解は「35歳」でした(誤差1歳)。これはどよめきを呼んでましたねえ。1930年(昭和5年)9月生まれ(6日説と26日説があるそうです)で、「ウルトラマン」が放送されてたのは1966(昭和41年)だったそうで…。なお亡くなったのは 1996年(平成8年)8月27日で享年65。実は「仮面ノリダー」が放送されてる時代にはもう亡くなってたそうですね。

そして次の問題。そりゃアッキ~さん、外さないよねーと思って笑いをこらえながら見てましたら、

「石井伊吉(毒蝮三太夫)の年齢は?」でした。「石井さん」ってのがいいなあ(爆)。ま、実はこの前後に「笑点のざぶとん運び」になったので別の芸名が必要になったので盟友かつ笑点の初代司会者の立川談志師匠に「毒蝮三太夫」と命名されることになったのでこの当時は本名の「石井伊吉」名義だったりします。

で、私。この例会の少し前にマムちゃんが89歳になった…というニュース記事を見まして「へー、マムちゃんは談志師匠と同じ昭和11年(1936年)生まれだったのか」と。どうも誕生日が3月31日らしいとも。となると…で1966-1936=「30歳」としときゃ、大きくハズレることはないだろとボードにサラサラと。

そしたら正解は、

「30歳」でした。今回2回目のピタリ賞でした。ま、ボーナスポイント等はないんですがこれはこれで嬉しいもんですね(笑)。

なおマムちゃんの生年月日は1936年(昭和11年)3月31日。同い年の談志師匠は1936年1月2日生まれ(亡くなったのは2011年)、先日亡くなった巨人の長嶋茂雄氏が1936年2月20日生まれ、ついでに三好さんが永年私淑している鉄道紀行作家(レイルウェイライター)の種村直樹氏が1936年3月7日生まれ(亡くなったのは2014年)…とえらい近い誕生日なんですね、いずれも昭和10年度の早生まれです。しかもその間に2.26事件まで起きてるし(をい)。

「乃木希典を演じた俳優さんのこの当時の年齢は?」シリーズも。

で、11問目からはちょっと趣向が変わりました。まずはこの画像が登場しました。

明治時代の軍人・乃木希典(のぎ・まれすけ)の写真が出てきました。

この人は日露戦争の旅順攻略戦の指揮などを行った後は、幼少期の昭和天皇(迪宮裕仁親王)の教育係をつとめるべく学習院院長に転身した後に、崩御した明治天皇の大喪儀の日に奥様ともども殉死したという人物でいろいろなドラマや映画に登場する人物です。ま、司馬遼太郎の作品(「坂の上の雲」など)とかでは「作戦下手の乃木大将」とかでも出てくる次第ですが、いろいろと異論もあるそうです…で、この人が最期を迎えた東京・赤坂の邸宅のすぐとなりに作られたのが「乃木神社」で、その神社に面する坂道が「乃木坂」と呼ばれていて、最近では女性アイドルグループの名前にも(以下略)。

で、この写真および「乃木希典本人は日露戦争の時は55歳で、最後は62-3歳ぐらい(画像に書かれている生誕年と没年から計算できます。実際は62歳だったようですが)で亡くなった人物ですよ」というちょいとしたヒントが出たうえで11問目はこんな問題でした。

「乃木希典を演じた笠智衆のこの時の年齢は?」でした。

個人的には「あれー、「男はつらいよ」で御前様(柴又帝釈天の住職)の役で出てた時はもう結構なお年だったような」という印象が。というよりもこの笠智衆が乃木希典を演じた映画が何年の映画なのかも知らないし…と。ただこれがカラー写真だからカラー映画が普通になった1960年代ぐらいだろうと。なお日本初の国産のカラー映画は「カルメン故郷に帰る」だった記憶があるけども、あれは確か1950年代(正確には1951年=昭和26年)だったよな…と思いつつも、とりあえず笠智衆はたぶん明治生まれで、1960年代ぐらいの映画だと推測して「62歳」と書いてみました。

そしたら正解は、

「64歳」でした(誤差2歳)。うん、意外に読みは外れてなかった模様(笑)。一応調べたら、笠智衆氏は1904年(明治37年)5月13日生まれで、この「日本海海戦」が公開されたのが1969年8月13日。この当時は東宝は「東宝8.15シリーズ」ということで夏休みかつ終戦記念日の8月15日に合わせて近代史系の戦争映画を何作か作ってたそうです。

なおこの「東宝8.15シリーズ」では笠智衆氏は第1作の「日本のいちばん長い日」という作品で終戦時の首相・鈴木貫太郎を演じてまして、ややネタバレになりますが午後2枠の私の「八高戦」で「鈴木貫太郎」の問題が出題された際にはアッキ~さんが物凄く早いポイントでサクッと正解されてましたです(^_^;)。

そして次もこのシリーズの問題で、

「乃木希典を演じた仲代達矢のこの時の年齢は?」でした。

この時の私は、「いやー仲代先生、髭面だからますます年齢がわかんねー」とちょっと頭を抱えてました(苦笑)。で、自分の知識としては「黒澤映画に頻繁に起用されるようになって、自分で「無名塾」を立ち上げたのが確か40歳を過ぎたあたりで、無名塾は俺が生まれた頃にできた記憶が」で、1974年(←私が生まれた年)-40=1934年(昭和9年)生まれ…と推測した上で、たぶんこの映画ないしドラマは昭和が終わる直前ぐらいの作品ではないか、と考えて、1988(昭和天皇が崩御する前年)-1934=「54歳」と書いてみました。

そしたら正解を見たら、二重の意味でびっくりでした。

「47歳」でした(誤差7歳)、ま、年齢の誤差よりも、その仲代達矢氏の47歳という若さよりも、その写真の映画名が「二百三高地(←日露戦争の旅順攻防戦の最大の激戦地でした)」で、「うわ、さだまさしが主題歌歌ってるやん…海は死にますか山は死にますか(「防人の歌」)と」で、そっちに気づかなかったのにガックリでした(ノД`)シクシク。ちなみに仲代達矢先生、1932年(昭和7年)12月13日生まれで現在92歳です。

※なお「二百三高地」が公開された同じ1980年には黒澤明監督の「影武者」で武田信玄を演じてます。ま、当初の主役の勝新太郎が黒澤明と大喧嘩して降板して役が回ってきちゃったらしいんですが…(苦笑)

で、すごかったのは笠智衆、仲代達矢と来て、まだいたんですね…乃木希典を演じた俳優が。13問目は、

「乃木希典を演じた柄本明のこの時の年齢は?」でした。いやー柄本明、こりゃ本当に乃木将軍にそっくりですやん。いかにも戦下手な雰囲気が(←やめなさいw)

で、私としてはまず頭によぎった疑問としては「柄本明…そもそもこの人は幾つぐらいの人なんだろう」と(苦笑)。

一応推測してみたのが劇団「東京乾電池」の盟友・高田純次とたぶん同年齢だろうというのと、高田純次氏がうちの親父と同い年(1947年=昭和22年生まれ)なのはなんとなく知ってたので、柄本明氏も「1947年生まれ」と推測した上で、果たしてこの作品は何の映画orドラマなんだろう…と、ここで昔っからドラマ嫌いが災いして作られた年代が全く読めずに「とりあえずさっきの仲代達矢先生の時の「54歳」でいいや。乃木将軍も当時55歳とか書いてあったし」とやってみました。となるともしピタリ賞であれば2001年の何かの映画だったんかなと。

そしたら、正解は、

「61歳」でした(誤差7歳)、ま、結果的には仲代達矢先生同じ誤差(プラスかマイナスかは別にして)でした。「あー、「坂の上の雲」か。司馬遼太郎先生の作品を読破したから珍しくこのドラマだけは見てたのに」と(苦笑)。なお柄本明氏は1948年(昭和23年)11月3日生まれで、実際は高田純次氏よりも1歳年下でした。

この13問時点でのトータルの誤差は「33歳」になってました。やはり他の人の回答が全くわかんないし、そして同様にあちこちから「ピタリ賞!」「惜しいー」という声も結構出てたのでこの誤差が大きいのか少ないのかちっともわかんないまま、残り7問の終盤戦に入っていくのでした。

次回に続きます。

 

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埼玉県で活動している「岩槻クイズ(&ゲーム)の会」、通称「岩Q槻(いわくつき)」です。毎度色々なクイズやゲーム企画等で「ユルくバカトーク多めで」やってます。大量の差し入れお菓子と公式ブログで「結構長々と書いている」例会報告が最大の特長です(笑)。 初心者から中級者ぐらいのご新規さん大歓迎です。