こんにちわ、番頭役のむろかつです。2023/08月例会で開催された「第6回精霊流しステークス」の報告記(のむろかつ版の詳細編)をお送りしてます。第18回目は予選最終企画となる3R「ジャンル別クイズ」の8回目です。
↑前回の記事はこちら。
14ジャンル目は「生物」でした。
全20ジャンルある「ジャンル別クイズ」も残りは7ジャンルとなりました。14ジャンル目は「生物」でした。
で、こちらはきてれのさんの単独参加でした。いやー1◯さえ積めばボーナスポイント獲得なだけにどこまでポイントを伸ばせるか?
Q1:「ブラックバス(「黒鱒(くろます)」という和名で呼ばれていたこともあったがサケ科の鱒(ます)と混同されやすいことから現在は使われていないサンフィッシュ科の魚で、2005年6月より施行された「外来生物法」により輸入、飼養、運搬、移殖を、原則として禁止となった)」→きてれの1◯
Q2:「アメリカザリガニ(2023年6月1日から、野外への放出、輸入、販売、購入、頒布等を許可なしに行うことが禁止された生物で、体色が赤いことから「マッカチン」という別名があるザリガニの一種)」→きてれの2◯
Q3:「ホタテガイ/ホタテ(殻の形からそれを扇に見立てた「海扇(うみおうぎ)」と呼ばれたり。久保田佐竹氏の家紋に似ていることから秋田貝(あきたがい)とも呼ばれるイタヤガイ科の二枚貝)」→スルー
Q4:「タチウオ(その外観から湾曲した剣に似ていることから「カットラスフィッシュ」と呼ばれるスズキ目の魚で、その和名も日本刀に似ていることから名がついている)」→きてれの3◯
Q5:「カミキリムシ(その長い触角を牛の角になぞらえて漢字表記では「天牛(てんぎゅう)」と書き、英語ではその長い触角から「Longhorn beetle(長い角の昆虫)と呼ばれる、シロスジ、ゴマダラなどの種類がある昆虫)」→きてれの4◯
と思ったら前半戦、なんと5問中4問も正解するとはきてれのさんも凄まじいことを(大汗)。
Q6:「タガメ(漫画「大使閣下の料理人」では主人公が素揚げにして料理にしたこともある昆虫で、肉食性で魚や蛙、他の水生昆虫を捕食しその獰猛さから「水中のギャング」とも呼ばれるコオイムシ科の)」→スルー
Q7:「オリーブハマチ(世界で初めてハマチ養殖の事業化に成功した野網和三郎の生誕100年を記念して香川県で研究されたフルーツ魚のひとつで、植物の葉を粉末にして飼料に混合して与えた魚で現在は登録商標にもなっている)」→スルー
Q8:「ミツクリザメ(日本での別名は「テングザメ」。東京大学三崎臨海実験所の初代所長の名を冠したネズミザメ目の深海に生息するサメ)」→きてれの5◯
Q9:「ヨコヅナイワシ(2021年に新種として登録された駿河湾のみで確認されているセキトリイワシ科の魚で、その5体の標本は東海大学海洋科学博物館が所有している)」→きてれの6◯
Q10:「シーボルトミミズ(漫画「放課後ていぼう日誌」では、湯浦しずくがうなぎ釣りのエサとして捕まえたミミズで、作品内では「カンタロウミミズ」として登場している、江戸時代に標本を持ち帰った博物学者の名がついている)」→スルー
【14「生物」:きてれの+16】
すると後半戦もQ8「ミツクリザメ」Q9「ヨコヅナイワシ」も正解して6◯まで積み上げるとはやはりきてれのさんは凄まじい事を(大汗)。ちなみにQ7「オリーブハマチ」もなんとなく押せそうな雰囲気で「あー、名称を忘れたー」とおっしゃってたので、いやー2ジャンル目の「競馬」のかよちんさんの9◯(+19)までは届かないものの、前ジャンル(13ジャンル目)の「戦後犯罪事故・事件史」のむろかつの5◯(+15)をサクッと追い抜いておりました(笑)
あと個人的には子供の頃は千葉県の成田(の成田ニュータウンの公務員団地)に住んでまして、自宅から自転車を小一時間も走らせると印旛沼まで行けるとこだったので、悪友たちとブラックバスやアメリカザリガニなんかを釣りに行ってました(確か小5だったので昭和60年前後だと思うのでもう38年も前の話ではありますが)。あの頃(というかおそらく今も)はブラックバスは食用に向いてないってんで、キャッチ・アンド・リリースがフツーだったんですが、今は調理法次第では食べられるそうなんですね。時代も変わったもんだ(^_^;)
第15ジャンルは「サッカー」でした。
つづく第15ジャンルは「サッカー」でした。ここでは、ぽちょ兄貴・T本山さん・かよちんさんの3人が着席・挑戦となりました。
Q1:「中澤佑二(若手時代にしていた髪型がアフロヘアーであったことと、その空中戦での強さから「ボンバーヘッド」の愛称がつけられていた元日本代表のサッカー選手)」→かよちん1◯
Q2:「柱谷哲二(出場時の多くはキャプテンとしての出場でありチームを激しく鼓舞するその姿から「闘将」と呼ばれたサッカー選手で、現役時代は日産自動車とヴェルディ川崎で活躍し、現役引退後はJリーグ選手協会及びJリーグ選手OB会それぞれの初代会長を務めた)」→ぽちょ兄貴1×
Q3:「ユヴェントスFC(ユニフォームの配色からイタリア語で「白と黒」を指す「ビアンコネーロ(I Bianconeri)」という愛称があるイタリア・セリエAのサッカーチーム)」→ぽちょ兄貴1◯
Q4:「ルイス・フィーゴ(「白豹」の愛称がある他、2000年にFCバルセロナの長年のライバルチームであるレアル・マドリードに6000万ユーロで「禁断の移籍」をしたことから「守銭奴」の異名もつけられてしまったポルトガル出身のサッカー選手)」→かよちん2◯
Q5:「カール=ハインツ・ルンメニゲ(バイエルン・ミュンヘン、インテル・ミラノ、(スイスの)セルヴェットで活躍したドイツ出身の元サッカー選手で、1980-81年の2度にわたりバロンドール(欧州年間最優秀選手)を受賞し「ミスター・ヨーロッパ」と讃えられた、弟にかつて浦和レッズに所属していたミヒャエルがいるのは」→ぽちょ兄貴2◯
まずは前半戦でした。
元々は本山さんが大の川崎フロンターレサポーターで国内サッカーに詳しく(川崎に所属している・していた日本代表選手も多し)、ぽちょさんが国内外のサッカーにめっぽう強い…というのは知ってましたが、そこに先程「競馬」で無双したかよちんさんが参戦してどーなるかと思いきや、Q1「中澤佑二」Q4「ルイス・フィーゴ」で2◯を積んでギャラリーからどよめきが起きてました。いやー「フィーゴ」は懐かしい。何せ「禁断の移籍」後にはバルセロナのホームであるカンプ・ノウでの試合の時はコーナーキックで蹴ろうとしたら瓶やペットボトル、更に豚の頭まで飛んできてえらい事になってたのがまた(笑)。
一方でぽちょさんはQ2「柱谷哲二」を「ラモス瑠偉」と誤答するも(ちなみにこれを書いてるのは2023年10月28日なのですが、ちょうど今から30年前の1993年10月28日があの「ドーハの悲劇」が発生した日でして、柱谷選手もラモス選手もプレーしてたなあ…なんてちょっと感慨にふけている始末です、はい。なお日本シリーズ第1戦も今日だったんですがそれはそっちのけで(苦笑))、Q3「ユヴェントス」Q5「カール=ハインツ・ルンメニゲ」を正解し2◯を積んでかよちんさんと並んでおりました。
ついでに書くと私(むろかつ)は今でこそ「判官贔屓」でヴァンフォーレ甲府を応援してますが、2009年までは浦和レッズを「判官贔屓」で応援してまして…ゆえに「弟に元浦和レッズの」という問題分が出てきた時に「ブッフバルト…じゃねえなあ、となるとウーべ・バインかミヒャエル・ルンメニゲの兄貴に著名な選手がいたんだろうか」なんて、Jリーグ黎明期の(今の天皇杯などのタイトルを何度も取っている浦和からでは全く信じられないぐらいに)めちゃくちゃ浦和が弱かった頃に助っ人で来てくれてた外国人選手を思い浮かべておりましたです(^_^;)。
Q6:「服部浩紀(前線からの強烈なプレスを武器に長く第一線で活躍した元プロサッカー選手で、横浜フリューゲルス、川崎フロンターレ、清水エスパルス、アルビレックス新潟、アビスパ福岡、サガン鳥栖でプレーし、「アジアのトラ」の異名を取った」→かよちん1×
Q7:「トスタン(本名は「エドゥアルド・ゴンサウヴェス・デ・アンドラーデ」。1966年に出場したW杯イングランド大会ではペレとのコンビでその素質を魅せつけ、「白いペレ」と呼ばれるようになった元サッカー選手で、その通称は「小さな硬貨」を意味し、引退後は内科医とジャーナリストとして)」→ぽちょ兄貴2×(失格)
Q8:「ロベルト・プロシネツキ(ボールを引く動きから強烈なミドルシュートまでの流れが撃鉄を起こしてから引き金を引くまでの一連の動作に似ていたため「バルカンの黄金銃」と呼ばれていたクロアチア出身の元サッカー選手で、レアル・マドリード、バルセロナFC、クロアチア・ザグレブなどで活躍した)」→スルー
Q9:「ロリー・デラップ(そのスローインの飛距離、速度ともフリーキック並みである為に「人間発射台」の愛称で知られるイングランド出身の元サッカー選手で、カーライル、サウサンプトンなどで活躍した)」→スルー
Q10:「松永章(ゴールへの嗅覚の鋭さから「ハイエナ」の異名で呼ばれた元サッカー選手で、現役時代は日本サッカーリーグの日立製作所サッカー部に所属し1972-73年には日本リーグの得点王も獲得したことがある)」→スルー
【15「サッカー」:かよちん+12、T本山±0、ぽちょ兄貴-8】
後半戦の模様でした。ぽちょさんが2×で失格となった以外は得点変動はありませんでした。
Q6「服部浩紀」は「あー、なんかアビスパ福岡でいたね、ちょっと荒っぽいプレーだった記憶が」みたいなのは(これを書いているむろかつの)個人的にはあるんですが、川崎サポの本山さんが行くかなーと思ったらスルー直前にかよちんさんが「高木琢也(「アジアの大砲」と呼ばれていた元日本代表選手)」で誤答して1×がついてました。で、本山さんは「あー、いたいた」と苦笑いしてまして、念のため後から調べたら川崎に在籍してたのは1998年の1シーズンのみで、川崎にとってはJ2リーグができる前年に旧JFLリーグの2位に入った際にJ1参入決定戦に回って福岡に負けた年にプレーしてたのでつまりは川崎所属時代はJリーグではプレーしておらず「前史時代の選手」だったがゆえ、本山さんにとってはさすがに勝負には行けなかったのは致し方ない次第だったようです。
こんな感じで残りは5ジャンルとなりました。次回に続きます。
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