こんにちわ、むろかつです。
未完成のままで終わった「定例会報告」を書き上げる【復刻版編】の18回目となります。今回からは2018/06月例会「MJCC」の時の佐伯明日叶さん企画の「カーリングクイズ」の詳細版報告記2回目です。カーリングだけに折角入れた駒が弾かれる醍醐味とかもどうぞお楽しみください(笑)
↑前回はこちらをどうぞ。
Q2は「東海道五十三次」でした。
Q1「日本の大学で学生数の多いベスト20」はAチームが2-0で一歩リードした形となりまして、Q2になります。
で、Q2のテーマは、
Q2「東海道五十三次の宿場町。東京側から21箇所お答えください」
でした。
↑で、今度は11番目の正解が真ん中、という事になります。
【第1ターン】
→A1・「箱根」○→10番
→B1・「小田原」○→9番→A1が13番に移動
→A2・「三島」○→11番
→B2・「平塚」○→7番
→A3・「藤沢」○→6番→B2・B1・A2が8・10・12番に移動
→B3・「品川」○→1番
ここのセットは初っ端から中央狙いな答えがバンバン飛び交う事態となり、A1「箱根」B1「小田原」A2「三島」…と、真ん中付近の10番・9番・11番が埋まる状態に。しかしそこは「カーリングクイズ」。隣にストーンを置けば弾かれるルールをうまく使い、
B1のストーンが隣の「箱根」に置いたA1のストーンを一気に13番まで弾いた後に、
A2が真ん中の「三島」に置いたはいいが、A3の「藤沢」が、B2の「平塚」、B1の「小田原」を1つずつ弾くものの、おまけに真ん中に置いてたA2の「三島」も隣の12番まで弾かれてしまい(笑)。「なるほど、こうなるのかー」とAチームの面々が大いに苦笑いしたところで、B3は安全策で、
端っこの1番の「品川」に入れてナイス回避、としておりました(^_^;)
ただ真ん中に入れりゃいいってもんじゃないんだねえ…(^_^;)
【第2ターン】
→A4・「戸塚」○→5番→A3・B2・B1が7・9・11番に移動
→B4・「程ヶ谷(保土ヶ谷)」○→4番→A4・A3・B2が6・8・10番に移動
→A5・「神奈川」○→3番→B4・A4・A3が5・7・9番に移動
→B5・「沼津」○→12番→A2を弾いて終了。
で、A4を投げる段階(?)で実はAチームは「なすすべがない」状態になりつつありまして、
A4で「戸塚」を入れるも、ストーンが弾けてB1の小田原が真ん中の11枠に入ることになったり、
B4が「程ヶ谷」に入れると、更にストーンがうまく弾いて10枠にB2の平塚、11枠にB1の小田原と更にBチームが有利になり、更にA5の時点で8枠(おそらく大磯と思われます)に入れて起死回生を…と思ったら、そこにA3の藤沢が合計2回も弾かれて仮にここに入れたとしてもA3が弾かれてA5が入るだけなので勝敗的には全く影響がないので、
3枠の「神奈川」に入れざるを得ない事態に。そして逆にBチームのラストショットでは、
おぐのりさんがB5にて「沼津」を指定すると、これが12番目の宿場町で12枠のA2(本当は11枠のど真ん中の正解)だった「三島」をドンピシャで弾いて無き物(?)にして、
最終的には真ん中3つを全てBチームが独占し、見事3点を獲得しまして、
Aチーム 2–3 Bチーム
となりまして逆転に成功、いよいよ企画の後半戦に突入していくことになったのでした。
次回に続きます。
解説と補足など
(例によって2021年3月時点のむろかつが感想戦ぎみに書いております)
というわけで「カーリングクイズ」の報告記2回目でした。こちらも私自身VTRを見るまではあまり覚えておらず、どういう展開だったのか…と思い出しながらチェックしてたのですが、なるほどー、序盤に真ん中を狙うとカーリング宜しくストーンを弾かれる、というのが企画のキモの部分だったなだなあ…と改めて感心しながら見ておりました。これか後半戦のラウンドになるとより戦略的な戦いになっていくんですから、やっぱし凄いなあとも。
「東海道五十三次」は、まあQ1の大規模大学もそうでしたが「箱根駅伝」が応用できまして、Aチームでのやりとりとしては「戸塚と藤沢ってどんぐらい離れてたっけ?」「あ、3区ですと中間点が茅ヶ崎ですから7-8キロぐらいっす。途中の遊行寺の坂が帰りの8区がやたらときついんすけどね。」みたいなやりとりをしてました。
で、ついでに調べたら戸塚宿→藤沢宿の距離はおおよそ1里30丁ほど。1里=4キロ、1丁=110メートルぐらいですので、やはり7-8キロといったとこでしょうか。ちなみに21宿場町、江戸からだと駿府の岡部宿、静岡県藤枝市まで行くらしいんですが、最も宿間の距離が長いのは箱根→三島の4里8丁、次いで小田原→箱根の4里で、逆に最も近いのは平塚→大磯の27丁、つまりは平塚から3キロも歩いたところに大磯宿があった、ということになるようです。
あ、それと「程ヶ谷(保土ヶ谷)宿」は、いろいろと調べたら地名としては両方とも昔からあったようで「一応、どっちの書き方でもOK」らしいです(かの歌川広重の絵には「保土ヶ谷宿」と書かれていたぐらいですので…)。ただし省電(鉄道院・省)→国鉄→JRの保土ヶ谷駅は、明治時代は「程ヶ谷」と表記されてたそうですが、昭和初期に東海道本線がとまらなくなり現在のような横須賀線のみの駅になった時に「保土ヶ谷」と改名された歴史はあるんだそうですけどね。ここのブログではExcelで作った表の文字数の都合で(苦笑)「程ヶ谷」にさせていただきましたが…。
しかし今回の戦いのBチームはうまかったなあ、の一言に付きますね。さてここから自他ともに認める「大の負けず嫌いかつ勝負師」のハマクドー・そーいち氏を擁する(?)Aチームの逆襲は如何に?それではまた。
(Text by むろかつ(番頭役))
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