昨年の12月例会の後、1月24日に「酒屋の若旦那」ことガソダム氏が急逝し、活動休止をしていたクイズサークル「岩Q槻」の活動再開後最初の定例会が4月1日に行われました。岩Q槻の常連メンバーに加え、いろいろなサークルでガソダム氏と交流があった面々も揃い、賑やかな定例会となりました。
その定例会の報告をしばらく「連載」として掲載していきます。どうぞよろしくです。
抜けるような青空とポカポカ陽気の中。
この日、私は企画で使う広辞苑などの重い荷物があり、車で岩槻まで来ました。本当は活動再開後は電車で来る予定だったのと、ガソダム氏の通夜・告別式の帰りには「もうここに車で来ることはないんだろうな」と川越の手前の荒川鉄橋の車窓を見ながらしみじみと感じてたのですが、結局、3月に行われた四十九日法要も、この日も車で来ることになってしまいました(苦笑)
で、私はいつもの、岩槻駅とガソダム氏の自宅兼酒屋(=12月までは3階のフリースペースが定例会の会場でもありました)のほぼ中間点にあるセブンイレブン横のコインパーキングに車を止めて、そこから集合場所の岩槻駅まで向かうことになりました。
さすが「人形の町」岩槻らしい広告が。
大宮アルディージャのフラッグが掲げられてました。ま、同じご町内に浦和レッズのそれもあるんですけどね。
テレビ埼玉では「うまい。うますぎる」でおなじみの十万石まんじゅうのお店も。
で、この日は新旧のメンバーが15人ほどエントリーしてくれまして駅前の段階でかなり賑やかになってました(で、岩Q槻の定例会ではご新規の方も4人ほどいらっしゃいました)。
その足で、駅前の「ワッツ東館」のサイゼリヤでお昼を…と言いたかったんですが、やはり車で来たおぐのりさんが岩槻駅の集合には遅れてしまい、サイゼリヤに行ったところ14人がキツキツに座ってたので昼飯はひとりで食べてくる…というハプニングもありました。いやあ本当にすんません(大汗)。
※で、毎度のことなんですがなぜかサイゼリヤでの写真は一枚も撮れず…。
例会本編前に全員でガソダム氏の墓参りに行きました。
1月24日に急逝したガソダム氏は3月4日に四十九日法要を執り行われ、ガソダム氏の実家の先祖代々のお墓に納骨されました。この法要も御遺族のご厚意もあり「友人代表」としてひっさつ会長と私・むろかつも参列させていただきまして、しっかりガソダム氏のお墓も覚えてきました。…ま、実は同じお寺にひっそつ会長の母方のご実家のお墓もあったんで彼がしっかり覚えてたんですけどね。
岩槻駅からは徒歩7-8分、実はガソダム氏の実家からも徒歩5分ぐらいの場所に、お墓があるお寺がありました。
実は岩槻ではとても由緒のある大きなお寺なんだそうです。
でこの日は遅刻参加者がおらず、事前エントリーした15人全員でお墓参りすることなりました。
むろかつがお墓に水をかけ、会長が事前に花屋でお墓に手向ける花を買ってきまして、その花をそなえました。
そして今回初参加の「カムサ」さんがお線香を持ってきてくれまして、皆でそのお線香を少しずつ分け合って、ひとりずつお線香を置いて手を合わせてました。
ここにいる全員が多かれ少なかれ(最も新しい人でも「岩Q槻」設立後から丸一年、ほとんどの人が5-15年、長い人で20年、25年を超える付き合いがありましたので。一番長いのが中学時代の同級生だったひっさつ会長の30年超でした)故人となったガソダム氏との思い出があり、そしてほぼ全員が年齢差10歳以内の「同世代」と言ってもいいぐらいの面々だったので、「未だに信じられない」「逝くのが早すぎだよ」と皆、口々に言っておりました。
で、皆で記念写真も。「なんか左上に丸囲いされたガソダムの顔が入りそうだ」「卒業アルバムか」というアホなやりとりも(爆)
そこから新しい例会会場へ。
お墓参りを終えて、一同は新しい例会会場に移動することになりました。去年まではガソダム氏の実家である酒屋のビルの上の、フリースペースを使っておりましたが、今回からは岩槻駅に近い公共施設の会議室を借りることになりました。
いつもは手前の灯りがついていない奥の会議室(C会議室)だけを借りて、定員18人の会議室を使うのですが、今回は事前エントリーのペースがやたらと早く、「これは18人を超えてしまうかも」と懸念したむろかつとひっさつ会長が、たまたま当日の午後・夜間で隣のB会議室も空いてたのでそちらも抑えまして、仕切っている壁を取っ払って2部屋分使うことになったのでした。
…ま、結局エントリーも15人という「会議室1部屋分ギリギリ」で済んでしまったので2部屋分借りることはなかったといえばなかったんですが、「1部屋分だけだとこんぐらい」「2部屋借りることもできるんだね」という事が参加者一同、「なるほどこの会議室はこうなるのか」と納得していたので、まあたまにはこういう形での定例会もいいよね?という事になり、企画本編がスタートしていったのでした。
つづきます。