こんにちわ、番頭役のむろかつでございます。2025/07月例会「スーパーオービスSD2025」の報告記を連載しています。4回目は午前2枠に開催されましたアッキ~さん企画「年齢近似値クイズ」の3回目の模様をお送りいたします。
↑前回はこちら。
今回は、企画終盤戦の模様をお送りいたします。
まずは前回同様、このアッキ~さん企画の概要の紹介をば。
・全20問あります。1問ずつ画像で出題される人物の当時の年齢を当ててください。
・1問ずつ出題されるので、各人ボードに近似値を書いてください。
・そして1問ずつ正解が発表されるので、その誤差も記録してください。
・最終的に20問終了した時点で、その「誤差が最も小さい」人が上位ということになります。
という企画でした。で、各人がボードに各問題の年齢近似値と誤差を記録し上で最終20問目の時点の誤差の合計の少ないほうが優勝、というものでした。例によって私(番頭役・むろかつ)は他の人達の近似値の回答は詳しくはわからず、時折、各問題ごとに「ピタリ賞当てた」「惜しい。1歳違いだ」「やっちまったー」等の声があがったりしていてえらく盛り上がっては居ましたが、自分の順位的にはどこらへんになるんだろう…というのは皆目見当がつかぬまま、終盤戦に入っていったのでした(^_^;)。なお私のスコア的には、前回ラストとなった第13問終了時点でのトータルの誤差は「33歳」になってました。
「アニソン界の大王」ささきいさお氏のデビューした年齢とその風貌にびっくり。
まずは第14問目はこんな問題でした。

「アニソン歌手の第一人者・ささきいさおの芸能界デビュー時の年齢は?」でした。
で、このレコードジャケット(と思われる)写真は、芸能界デビュー時は本名の「佐々木 功」を名乗っていたことがわかるわけですが…。なお私。未だにアニソンはとんと疎くて(それこそ来月開催されるハマクドーさんのクイズ問題の報告記を書く際にネットで調べたりして周辺知識に接して少しは知る程度でして)、このささきいさお氏と、先年なくなった水木一郎氏と区別がついてません(号泣)。
※ちなみにささきいさお氏が「アニソン界の大王」、水木一郎氏が「アニソン界の帝王」と呼ばれてるそうな(^_^;)
となると「うーん、二十歳ぐらいかねえ?少なくてもこの写真、十代には見えんし」「なんか太宰治みたいな風貌だな。意外に遅くデビューしてたんかもしれんけど、ま、いいや」と特に根拠もなく「20歳」としてみました。

そしたら正解は「18歳」でした(誤差2歳)。ニアピンではありましたがその写真の風貌から18歳と聞いてむしろ「18歳?( ゚д゚)ポカーン」と驚愕する私が(をい)。
そんなささきいさお氏は1942年(昭和17年)5月16日生まれで、歌手デビューした時は「和製プレスリー」というキャッチフレーズでロカビリー歌手として活動し始めてたそうです。で、高校在学中の1960年にデビューして、歌手・俳優として活動した後に、1973年からアニソン歌手となって現在に至るとのことでした。
※ついでに書くと「アニソン界の帝王」水木一郎氏は1948年(昭和23年)1月7日生まれと、ささき氏よりも6歳ほど若くて、デビューしたのは1968年で当時は歌謡曲の歌手(アニソン歌手としては1971年から)だったそうです、はい。
続く15問目は、

「スーパー戦隊シリーズは何周年?」という問題でした。
前の回で書いた記憶があるんですが、私(番頭役・むろかつ)は他の友人筋が子供時代に通ってきた道と思われる、ウルトラマン・仮面ライダー・機動戦士ガンダム(と、後述しますが「宇宙戦艦ヤマト」も)、そしてラジコンとミニ四駆等々を一切通らずにここまで来ちゃったんですが、「スーパー戦隊シリーズ」は見てたんですね。もっとも子供時代は朝、情報番組は7時ないし8時ぐらいからで、6時にテレビ局の放送が始まったら6-7時台はこの手のスーパー戦隊シリーズ等の再放送をやってたので家では21時には寝てたので自然と6時には目がさめてしまい、仕方なくテレビをつけたら「デンジマン」とか「サンバルカン(正式名称は「太陽戦隊サンバルカン」)」とかの再放送をやってたのを母親が朝飯作るべく起きてくるまでそれを見てた、という次第でした。つまりは「リアルタイムではなく再放送世代」ではあったのですがこれが吉と出るか凶と出るか。
※たぶん子供時代にテレ朝版の「ドラえもん」を初年度(1979年放送開始)から見ててそこを通っちゃったので藤子不二雄(F先生もA先生も)作品だけで充足できちゃったのも大きかったんでしょうね、きっと。
で、「はて、デンジマン(正式名称は「電子戦隊デンジマン」)は何作目だったっけ」と。そして薄い記憶で「どうも第1作目はゴレンジャーだったような」とも。とりあえず自分が見てたのは小学校低学年、しかも何回目かの再放送だったんで「じゃあ50年ぐらいかな」と「50年」と書いてみました。あとは悪役の女王様の化粧がえらいケバかったなーと(爆)。

そしたら正解は、「50周年」でした。今回3回目のピタリ賞でした。ちなみに最新作は第49作/50周年記念作品だそうで「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」という名前とのことでした。うん、このわかりやすさがいい(笑)
すまん、岸田森氏を 全く知らなかった…(ノД`)シクシク
続く第16問目は、

「岸田森(きしだ・しん)の年齢は?」という問題でした。
で、この時、私は「…誰?」と。俳優・声優さんだったそうです。私なんかは「タモリ倶楽部を始めた頃のタモリみたいだな」と言ってました(苦笑)。まああまりにもわかんないのでとりあえず「28歳」とか書いてみたら、

そしたら正解は「42歳」でした(誤差14歳)。今回の中では最大の誤差の14歳差がつきましたが、改めて風貌を見れば「ま、そりゃそうだろうな」と妙に納得でした(爆)。こちらは「太陽戦隊サンバルカン」の上司にあたる嵐山大三郎長官役だったそうです(前述の通り、再放送は見てましたが全く覚えてませんでした)。
で、岸田森氏は1939年(昭和14年)10月17日生まれで、1982年(昭和57年)12月28日に43歳の若さで亡くなってます。「サンバルカン」はこの前年度の作品だったそうで本人にとっては最晩年の作品とも言える次第でした。なお余談としては樹木希林サン(当時は「悠木千帆」という芸名でした)にとっては、内田裕也氏の前の旦那さんだったそうです。
残り4問となりまして、17問目はこんな問題でした。

「もし手塚治虫が存命だったら今年で何歳?」という問題でした。
なんとなく個人的には手塚先生の訃報が流れた時の事はよく覚えてまして、昭和天皇が崩御した翌月(平成元年(1989年)2月)あたりに夕刊の一面に訃報が出てたんですね。で、どうも60歳ぐらいだったらしいと。あと誕生日が文化の日(11月3日)だったのはなぜか知ってて、1989年11月に61歳を迎える予定だったとすれば、1928年=昭和3年生まれで、2025-1928=「97歳」ではないか…とそんな事をボードでちょいと計算してサラサラと書いてました。
そしたら正解は、

「97歳」でした。今回4回目のピタリ賞でした。誕生日はその1928年(昭和3年)11月3日で、亡くなったのは1989年(平成元年)2月9日だったそうです。
ということは、藤子A先生の「まんが道」で藤子両先生(をモデルとした少年2人)が戦後直後に読んで衝撃を受けて本人たちも漫画家を目指すきっかけとなった「新宝島」という作品を描いた時は手塚先生は。これが1947年の作品だったそうで実はまだ18-19歳だった、という事に気づいて驚愕した次第でしたが…。どうも初期の頃はあまりにも若かったんで、年齢をサバ読みして活動していて亡くなった時に本当の年齢を知った同業者が物凄く多かった逸話もありました。
…しかし還暦で亡くなってるのか。それはデビュー時から60歳の時に胃がんで亡くなる直前まで40数年間、睡眠時間も削るほどの質量共に凄まじい仕事量を抱えていたとはいえ、思えば早すぎるなーとも。
18問目はこんな問題でした。

「「宇宙戦艦ヤマトのデスラー総統」の声を担当していた伊武雅刀の、放送初回当時の年齢は?」という問題でした。
「伊武雅刀…スネークマンショーか」という知識しかない私・むろかつが(ノД`)シクシク。例によって「宇宙戦艦ヤマト」も子供時代に通ってませんでしたで(苦笑)。あとは昔の職場の上司がこの伊武雅刀によく似てた人で、とにかく私はこの上司とウマが合わなかったのでよく職場のエレベーターで「ちっ、伊武雅刀みたいな辛気くさいツラしやがってあのボケが」とよくひとりごちしてたぐらいしか知識はないんですが(苦笑)、とりあえず「たぶんスネークマンショーをやってた頃だろう→30前か?」と予想して「28歳」としてみました。まあ2問前の岸田森と同じ28歳予想で果たしてどーなるかと。
そしたら正解は、

そしたら正解は「25歳」でした(誤差3歳)。うん、意外に悪くなかった。というか若い(笑)。
元々は劇団俳優で声優の仕事もするようになった際の最大の当たり役が「宇宙戦艦ヤマト」のデスラー総統だったそうです。なお私がひとりごちしてた「スネークマンショー」とはDJユニット、コントユニットの名前で、DJの小林克也氏と知り合って途中から加入したのが1976年で、実はデスラー総統よりも後だったことを(この記事を書く際に調べて判明して)「そうだったのか」とちょっとびっくりした次第でした。ま、スネークマンショーをやってた頃と特定すればほぼほぼあ合ってたので個人的には満足です、はい(をい)。
残るは2問となりました。19問目はこんな問題でした。

「「巨人の星の星飛雄馬」の声を担当していた古谷徹の当時の年齢は?」という問題でした。
「えー、去年あたりに不倫がバレて仕事をほぼすべて降板した古谷徹かー」と(←嫌な覚え方すんな(爆))。で、私・むろかつとしては「大御所とはいえ、野沢雅子氏とかよりかは下の世代だろうから、たぶん70-73歳ぐらいかな。」と予想して、たぶん1952-54年あたりと読んで、さらなる問題は「そもそも「巨人の星」っていつ頃放送してたんだ?」と。
個人的には再放送は何度も見たことがあるし、川上哲治監督時代にその川上氏が現役時代につけてた背番号16を譲り受けた…という逸話までは知ってるんですが、このアニメはシリーズが幾つかあって、となると、川上監督から長嶋監督に替わった1975年あたりで、「じゃあ25歳にしておくか」となった次第でした。
そしたら、正解見て仰天でした。正解は、

そしたら正解は「14歳」でした(誤差11歳)。「じ、じゅうよんさい???!!!」と驚愕でした(爆)。その古谷徹氏の生年月日としては1953年(昭和28年)7月31日生まれで、この初代の「巨人の星」は1968年3月に放送開始となってたのでわずか14歳ということに。で、アッキ~さんの解説によるとこの人は子役として活動していて、中学生の時にこの初代の「巨人の星」の星飛雄馬を担当してたそうです。なお「巨人の星」もシリーズとしてはパート3まであるそうで新・巨人の星、新・巨人の星IIまで行くと、1979年まで続いてたそうです。
そして最終問題となりました。20問目はこんな問題でした。

「「お笑いスター誕生」の司会を担当していた山田康雄の(初回放送時の)当時の年齢は?」という問題でした。
いやー昭和40-50年代ぐらいの子どもたちからすれば、土曜日に午前中だけ学校の授業があって帰ってきたらお昼ごはんを食べながら「お笑いスター誕生」を見る、というのがある意味の定番でした。で、山田康雄氏はこの時代は言うまでもなくアニメの「ルパン三世」のルパンの声でも一斉を風靡してたのですが、子どもながらに「なんでこの人は風貌までルパンに似てんだろう」と不思議に思ったのを今でもよく覚えてますね。あとはこの番組を見ながら母親が作ってくれた、大橋巨泉氏がCMやってたハウス食品の「本中華・醤(ジャン)」というインスタントラーメンを食べてた記憶も深いです。「なんちゅうか本中華」のCMフレーズでおなじみの(以下略)
次いで年齢としては、「うーん、たぶん平成の天皇陛下と同い年か、1つぐらい年上かな」と予想しまして、平成の天皇陛下が1933年=昭和8年生まれだったので、ひとまず1つ年上の1932年=昭和7年生まれと想定して、更に「お笑いスタ誕」っていつぐらいから番組が始まったんだろうと。たぶん山口百恵とかピンク・レディを輩出した「スター誕生」よりかは後発で、よくよく考えれば漫才ブーム全盛期のB&Bとかが初期の頃に出てた(それを見てて気管支炎の一歩手前になるぐらいまでテレビの前で笑い転げた)記憶もあるし…で、それでは、漫才ブームの開始=1980年として、1980-1932=「48歳」としてみました。うーん、それでも今の俺よりも2つほど若いのか(ノД`)シクシク
そして最終問題の正解は…といいますと、

「47歳」でした(誤差1歳)。山田康雄氏は1932年(昭和7年)9月10日生まれで、「お笑いスタ誕」の初回放送日は1980年4月12日だったので、つまりは「48歳の誕生日が来る前」だったので47歳だった、という次第でした。ついでに書くと相方の中尾ミエさんは1946年(昭和21年)6月6日でこの初回放送時は33歳だったそうです。いやーいずれにしてもお若い。
そういえば審査委員長は落語家の桂米丸師匠だったんですが、米丸師匠は昨年の8月になんと99歳で亡くなりましてまさに大往生。と共に「いやー時間の経過は早いもんだ」としみじみと思いつつ、全20問目が終わりました。
最終的にはこうなりました。
そこから各人が計算タイムに入りまして、ボードにその誤差の合計値を自己申告していくことになりました。

で、私・むろかつはトータル20問で誤差は「61歳」でした。前半10問は誤差17歳で折り返したんですが、岸田森の誤差14歳と古谷徹の誤差11歳が効いて後半10問は誤差49歳に。果たしてこれがどこまで効くんだろう…と思ってたら、

誤差100歳超えが思った以上に多く「おや?」となりまして、

私の誤差61歳が1位、ひっさつ会長の誤差69歳が2位、チヨマル先生の誤差72歳が3位、ほしまる先生の誤差84歳が4位、かよちんさんの誤差89歳が5位…ということに。結果的には、私が優勝ということになっておりましたです。ただ、ひっさつ会長・ほしまる先生・かよちんさんは年齢としては私よりも1つ上、チヨマル先生はどうも3つほど上らしく、思えば「ほぼ同世代」での僅差の戦いだったということにもなりまして「うーん、やっぱし世代的にはドンピシャな問出すが多かったんだろうねー」なんて終わった後に話したりもしてましたです。

そして私はアッキ~さんから北海道旅行の折に買ってきたというサイコロキャラメルをいただきました。これをひっさつ会長に見せて「いやー会長、サイコロの旅に出ますか?」と「水曜どうでしょう」の藤村デレクターが大泉洋先生を拉致して言うようなセリフをほざいたりしてまして、午前2枠の企画が終了したのでした。いやーアッキ~さん本当にお疲れ様でした(多謝)。
次回は午前3枠で開催されましたキアロさん企画「クイズ!パンデモニウム」を数回にわけてお送りいたします。ではまた。
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