2024/11月例会「残念特別2024」報告記(その2:ビジュアル近似値クイズの前編)




こんにちわ、番頭役のむろかつでございます。2024/11月例会の報告記を連載しています。2回目は午前2枠目のアッキ~さん企画の「ビジュアル近似値クイズ」の模様を写真中心にお送りします。

2024/11月例会「残念特別2024」報告記(その1:オープニングと、逆リーチ杯編)

2024年11月7日

↑前回はこちら。

2企画目は、アッキ~さんの1年ちょいぶりのビジュアル近似値クイズでした。

1枠目のほしまるさん企画が終わりまして、続いては2枠目のアッキ~さんの企画になります。

で、プロジェクターに映し出されたのは「返ってきた」近似値クイズという名称でした。こちらは実は、

2023/07月例会「オービスSD2023」報告#1「オープニング」及び「1R:逆リーチ杯(フリバ枠)」編

2023年7月5日

昨年7月例会でアッキ~さんが初めて岩Q槻で企画をやった「ビジュアル近似値クイズ」の第2弾ということでした。

実はこの企画は岩Q槻にとってはかなりエポックメーキング的な、ものすごく大げさに言えば「歴史的転換点」的な一面もありまして、ひとつは「初参加の人がいきなり初企画を開催した(それまでは岩Q槻の1回目の例会を除けば「初参加の人がいきなりその場で初企画もやるのは、岩Q槻の例会や参加者各位の雰囲気がわからないだけにリスクが高すぎる」とお断りしてました)」ことと、もうひとつは「これまでの午前枠はすべてまとめて「逆リーチ杯という名の1つの企画・タイトル戦」だったとこが、このアッキ~さん企画以降は、現行の企画者別のタイトル戦が開催となった」ということでした。

つまり後者の方は、それまでの3-4回分の午前枠は「ほしまるさんや、その他の午前の企画者が”交代で早押しクイズ企画”をやって、その2-3企画の合計ポイントの1位プレイヤーが「逆リーチ杯の」勝者」ということだったんですが、アッキ~さんが全く趣向が違った企画を開催したので「ま、企画者別にした方がいいよね」という現行の午前のフリバ会枠になってより企画に自由度が増すことになった、より気軽に企画を持ち込むことができるようになった…という側面もありまして、「ああ、現在の流れのきっかけになった企画をまたやるんですねー」という意味では懐かしさと奥深さを感じずにいられない次第でもありました。

↑なお昨年はまだそんなに参加人数が多くなかった(とはいえ 後から来た人も含めれば16名いたのですが)ので、机・テーブルの位置もプロジェクターの位置も現在とはちょっと違ってました。プロジェクターを投射してたのはB会議室の物置の壁のとこだったんすね…。何しろプロジェクターから投射する角度と高さが足りなかったので、むりやり給湯室のお茶セットのキャスター付きの棚と、会議室の傘立てで高さを出して映してたのでこんなえらいことにもなってました(^_^;)

そして企画に入りまして、まずはアッキ~さんのルール説明等になりました。

基本的にはルールは去年と同じでした。画像を見て「それが起きた年」を西暦年で書いてその正解との年数の誤差(プラス(+5年とか)だろうがマイナス(-5年)だろうが誤差の扱いは全く同じでした)の少ない人が勝ち、という近似値クイズでした。そしてこの企画、最も怖いのは「もしピタリ賞を出しても、それに対してのボーナスポイント等は一切ない」という点でした(^_^;)。

↑なお去年は各人に岩Q槻の簡易ホワイトボードとマーカーが配布されて、都度都度20問分の西暦の近似値の年数と、正解発表で判明した自分の書いた年数との誤差をそれぞれ書いていって、その誤差を自己申告して各人の誤差との照らし合わせで順位が判明する…というシンプルな形式でした。

↑ついでに書くと去年、私(むろかつ)はアーサー・C・クラークによる小説「3001年終局の旅(映画にもなった「2001年宇宙の旅」の続編だったそうです)」の「3001年」を豪快に「1999年(誤差1002年!!)」をやらかして「しまったー」と頭を抱えてたんですが、それでも誤差は1558年でチヨマルさんに次ぐ2位に入ってびっくりでした。「あれ、意外に悪くないのね?」と。というよりも3位のばいそんさんと誤差がわずか11年だった事に「やっぱしわしとばいそんさん、スポーツ・芸能・近現代史…と、得意ジャンルがかぶるのね」とそっちの方にむしろ驚いた…という記憶が強いです。

そしてアッキ~さんのルール説明の最後の「オチ」がまた凄かったです。

「俺がルールブックだ」でお馴染みの昭和時代の日本プロ野球の名審判だった二出川延明氏を持ってくるとは(爆)。しかも二出川審判のもうひとつの名言である「気持ちが入ってないからボールだ」をもじった「気持ちが入ってない回答は不正解だ」のセリフにプレイヤー各位大爆笑でした。…まさに掴みはOK、というダチョウ倶楽部のお約束を彷彿とさせる次第でした(笑)

今回は「むろかつはこう考えて答えを書いていた」目線でお送りしますです。

で、本来の企画の流れとしては、

1問目から順番に出題されていきまして、

最後の20問目まで出題された後に、また1問目に戻って正解発表がなされて、

各人の書いた年数と、正解との誤差…の「正解との誤差の合計」を計算して自己申告で発表して最終的には得点板の各人の誤差を照らし合わせて順位が決まる…という次第でした(ここは去年と同じです)。

今回に限っては「文章の構成」に非常に迷ったのですが…。

…でまあ、先にネタバレしておきますと、今年優勝したのは私・むろかつでした。

しかしやはり2位に入ったのは去年優勝したチヨマルさんの次の2-3位争いでわずか11点差だったばいそんさんで、やっぱり去年と同じく「うーん、わしとばいそんさん、やはりスポーツ・芸能・近現代史のあたりで得意ジャンルがかぶるのね」とひとりごちしてしまった次第でした。と同時に「今年もしチヨマルさんがいたらどーなってたんだろう。チヨマル先生、またミラクルを起こしてそう」と(^_^;)

で、今回は記事の構成上、「1問目の出題→私・むろかつはこう考えて年数を書いてみた→1問目の正解→誤差は何年→2問目の出題…」の順番でお送りします。よって前半戦最後の10問目までお送りいたしますです。

ガースー氏が新元号「令和」を掲げて発表したのは…。

まず1問目はこんな問題でした。

「令和」の新元号が発表された年…でした。実はアッキ~さんの企画MCで思い出したのは、

前回の1問目が当時の小渕官房長官の「新元号・平成」の年だったんですね。実際にブッチホンもとい小渕官房長官も後に総理大臣になるわけですが、この時代、この歴史に残る新元号発表をした内閣官房長官は蔵相(現在は財務大臣ですが当時は大蔵大臣でした)・外相などの重量級閣僚5回分を歴任したインパクトがある…と言われてまして、やはり「令和」の新元号を発表したガースー氏こと菅官房長官も次の総理大臣になってました。

正解「2019年」:むろかつの回答予想「2019年」→誤差なし

こちらはさすがに誤差なしでした(ピタリ当てた人も多かったです)。

まあ個人的には令和元年=2019年ってのもやっぱり覚えてましたが、実はこの新元号が発表された4月1日の午後にうちの父方の祖母(大正15年生まれ=実は大正最後の年生まれでもありました)が、93歳で亡くなったんですね。なのでこの翌週に執り行われたお通夜の際の食事会とかで「大正最後の年に生まれたばあさんが、大正・昭和・平成と3元号分生きて、令和にはぎりぎり間に合わなかったけど、一応次の新元号は聞いてからあっちに行ったんだね」と親戚筋で話題になってましたです。ゆえに「それ、うちのばあさんが死んだ日なんでさすがに…」と私は苦笑いしてました。

続いての2問目は、

札幌の時計台(札幌市時計台)が重要文化財に指定されたのは何年?という問題でした。なお画像としては「これ=札幌時計台」という指定はなく「この建物は何?」というビジュアルクイズも兼ねられてました。

これはさすがに私もわからず、でした。たぶん「この建物が作られた時代」はきっと札幌農学校にクラークさんがいた頃に作ったんだろうなとは予想がついたのですが、2005年に新婚旅行で北海道に行った時にあまりの小ささに逆にびっくりした印象もあって「まあ重文指定は、そのクラークさんがいた時代から100年後ぐらいでいいだろ→1985年」としました。元号だと昭和60年。つくば万博とか前回の阪神日本一があった年でもあります。

正解「1971年」:むろかつの回答予想「1985年」→誤差14年

1971年(昭和46年)だったそうです。なおアッキ~さんはこの時計台が作られた年で問題を作ろうとしたそうですが、こちら途中で移設してるので厳密な裏とりができなくて作れなくなった…という事をおっしゃってました。

3問目はシドニーにオペラハウスが世界遺産に登録されたのは何年?という問題でした。「あー、第13回アメリカ横断ウルトラクイズで出てきたな。確かゲストでMr.マリックが(以下略)」とそんなネタはともかく。

正解「2007年」:むろかつの回答予想「2004年」→誤差3年

これは正直わかんなかったんで「まあ21世紀かな?意外に2000年のシドニー五輪の後ぐらいだったりして」と思って「2004年」と書いたら誤差3年でした。なお世界遺産の建造物の中では年代的には最も新しいものだそうで1973年完成だったそうです。ただし工事着工が1959年からでいかんせんあの独創的な形状とかで工事が物凄く大変だったとか…。

4年目はこれまた「アメリカ横断ウルトラクイズ」でお馴染みのニューヨークの自由の女神。この女神像の除幕式が行われたのは何年?という問題でした。

正解「1886年」:むろかつの回答予想「1889年」→誤差3年

こちらはアメリカ独立100周年記念でフランスから贈られたんだそうで、アメリカ独立=1786年からプラス100年で覚えていれば…とのことでした(何人かはピタリ賞が出てたそうです)。一方、私・むろかつは「確か先の問題の、シドニーに行ってた第13回アメリカ横断ウルトラクイズが1989年だったし、やっぱり東京ドームの第1問目で出題されてたし…で、ここからマイナス100年にしときゃたぶん近いだろ」と「1889年」と書いたら誤差3年でした(^_^;)

5問目。この建造物が創建されたのは何年?という問題でした。そもそも何の建造物なのやら…。

で、私・むろかつとしては「うーん、このめちゃでかそうな建造物。果たして茨城の牛久大仏なのか、群馬の高崎大仏(後から調べたら正確には「高崎大観音」でした)なのか」でまず悩み、「うーん、これがもし牛久大仏だったら…どっちにしても1985年のつくば万博の頃はまだなかったような気がする」と、とりあえずこれを牛久大仏と仮定して「1989年」と書いてみました。

正解「1993年」:むろかつの回答予想「1989年」→誤差4年

そしてこの建造物は「牛久大仏」でした。で、創建年は「1993年」つまりは平成5年でした。

で、なんで「つくば万博の後にできたんだろ」と思ったのかと言いますと、そのつくば万博に我が家で家族で行った時は当時住んでた成田から一般道で筑波まで行ったんですね。その時にちっとも親から話題として出てこなかったので(たぶん1985年にすでにあったら万博の帰りに寄り道してせっかくだからその牛久大仏も見に行こうとか言ってたと思いますし…)。

ちなみに余談としてはもうひとつの「高崎大観音(高崎白衣大観音)」は建立されたのは意外に古くて1936年つまりは昭和11年で、かの2.26事件が起きた年や現在の国会議事堂ができた年だったんで、後から調べて「あぶねー」と(苦笑)。

6問目はタバコを購入する時に必要な(というか未成年が自販機で購入するのを防ぐための)カード「taspo(タスポ)」の、サービス終了年は何年?という問題でした。いやー俺もごくごく若い頃にごくごく短期間だけ吸ってたんだけどなーと思いつつ(主に浪人時代に。大学生の時に急性気管支炎喘息で救急車のお世話になったのを機に完全禁煙しました)、全く予想がつかなかったので「最近=2021年」にしてみましたら、

正解「2026年」:むろかつの回答予想「2021年」→誤差5年

「まだ終わってなかったんかい!!」と一斉にツッコミが飛び交ってました(爆)。

しかし以前に比べて本当に知り合いに関しては喫煙者はぐっと減りましたねー。20年ぐらい前まではフツーに公共施設の会議室にも灰皿があってパカパカ吸ってた人は多かったんですが、今や会議室は禁煙で喫煙スペースに移動して一服とか、下手するとそのエリア自体が禁煙条例で全く吸えないという公共施設も増えましたし。こちらは誤差5年でした。なおハマさんはピタリ賞を当ててたそうです。

7問目は「Windows3.1のサービス終了年」は何年?という問題でした。Windowsとはいえ大ヒットした「95」の前の「3.1」ってのが実に凄まじい。

なお私の実家では私が浪人を経て大学進学で下宿するために家を出た後(これが1994年春でした)に親父がこのWin3.1のパソコンを購入してました…が、私自身は全く触った記憶はありませんでした(笑)。で、ここでは私自身はWindows95のパソコンを購入したのが(大学のゼミのレポートづくり等々で必要になった)1997年だったんで、たぶんその前のWin3.1もユーザー補償は少なくても10年ぐらいはするだろうと「2003年」と書いてみました。

正解「2001年」:むろかつの回答予想「2003年」→誤差2年

正解は「2001年」でした。いやーアプローチ的には意外に良かったかもしれませぬ。

個人的にはパソコンは実家に最初にやってきた5インチフロッピーのPC98シリーズ(厳密には我が家にやってきたのはEPSONの286シリーズという互換性があるものでした)からWindows95まで一足飛びに行くまでは私は完全なワープロ派で東芝ルポを使い倒してました。ゆえにWin3.1はとっつきにくい印象が強かったです。あとは通ってた大学の情報処理室に大量にパソコンが導入されたりインターネットができるようになった時代だったのでWindows95とか98の頃あたりから「なんか使いやすくなったなー」という印象が強いですね。

まさかの「巌流島つながり」で(爆)

続く8問目は、

心のなかで「うーん、たぶんこれは「風林火山」の幟の方が武田信玄だから相手はたぶん上杉謙信だと思うから…きっと川中島の戦いだよな?」と思いつつ。確か5回ぐらい戦って4回目が大激戦だったのは知ってるんだけどねーとか。

しかしいざ「西暦何年の出来事?」と問われるとこれは難しい。結局、私・むろかつは「確か武田信玄って、織田信長が天下統一直前に本能寺の変で死ぬ更にもっと前に死んでる筈だから…きっと1580年よりも前なんだろうな」と思いつつ(ちなみに本能寺の変は1582年でした←ここですでにビミョーにズレてるのがまた(苦笑))。

正解「1561年」:むろかつの回答予想「1575年」→誤差14年

「1561年…そんな前だったんかい」と(爆)。なお武田信玄が実際に死んだのは1573年、更に上杉謙信が死んだのは1578年だったそうです。

で、9問目。海辺で刀を構える侍2人…だと「これはたぶん巌流島の宮本武蔵と佐々木小次郎の対決なんだろうな」と内心でひとりごち。まあこの直後に「アントニオ猪木とマサ斎藤も巌流島でノーピープルデスマッチを」とボケを入れていたオールドなプロレスファンもいらっしゃいましたが(^_^;)

正解「1612年」:むろかつの回答予想「1625年」→誤差13年

個人的には井上雄彦の「バガボンド(宮本武蔵を主人公にした時代劇漫画)」のオープニングで、宮本武蔵が関ヶ原の戦いに参戦してた…というシーンは覚えてたので、たぶん江戸時代以降だろうと。となると大阪夏の陣あたりかなーと思って「1625年」と書いたら後で調べたら大阪夏の陣は1615年で10年も間違っていたことが(大汗)。なお宮本武蔵は1645年に亡くなったそうでなんとあの「島原の乱」の7-8年後だったそうです。

で、バカウケだったのが次の問題で、

まさか「プロレス版巌流島の戦い」こと、アントニオ猪木対マサ斎藤戦が何年に行われたか?という問題が本当に出るとは(爆)。

でまあ私・むろかつとしては、「たぶん猪木対モハメド・アリの異種格闘技戦よりかはずっと後だろう。となると猪木アリ戦が確か1976年だったからそれよりかは後だろうな。で、たぶん猪木が女優の奥様と離婚したり、新日プロレスの経営がちょっとやばくなった頃だったと思うんで」とか思いつつ「1986年」と書いてみたところ、

正解「1987年」:むろかつの回答予想「1986年」→誤差1年

どうもハマさんや三好総統あたりも誤差1年という惜しい答えだったようで私も含めて「1年違いかー」と頭を抱えておりました(笑)。ついでに書くとこの3年後に今は石川県知事をやっている当時プロレスラーだった馳浩と、当時人気悪役レスラーだったタイガー・ジェット・シンがやっぱり巌流島でノーピープルデスマッチをやってたそうです。

で、前半が終わって私自身の誤差は10問で「59年」。ピタリ賞は1問のみで、最大の誤差が14年が2回、13年が1回。この時点では他の人の誤差は全く知らない状態だったので果たしてこれがいいのか悪いのか…はよくわからないまま、後半の10問に入っていったのでした。

次回に続きます。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

埼玉県さいたま市岩槻区界隈で活動している「岩槻クイズの会・岩Q槻(いわくつき)」の公式ブログです。年間8-9回ほど「ヌルく」クイズやカードゲームなどで遊んでいる会です。 こちらのブログは主にサークルの「番頭役」のむろかつ(幕張亭ボーリック)が更新しています。