こんにちわ、番頭役のむろかつです。2022/11月例会「第5回ひよし記念・秋(G1)」の報告記をお送りしています。2回目は1RのLinerさんの「近似値グランプリLive2022秋」の2回目をお送りいたします。
↑前回はこちら。
え、ニアピンを「4人で」獲得ですと?( ゚д゚)ポカーン
序盤の2問をハマクドーさんが連続でニアピン賞を獲得し+20pスタートという物凄いスタートダッシュに成功した後の3問目となります。
3問目は、
Q3:NHK今日の料理の材料が”2人分”に改定されたのはいつでしょう?
…という問題でした。放送開始直後は「5人分」だったそうですが核家族化・少子化などが進んで今や「2人分」を目安にした材料量ということになってるんだそうです。で、この「2人分」になったのは西暦何年か?という問題でした。
で、私(むろかつ)は「そうだなー、平成が始まった頃には核家族化は進んでたかもしれんし」と、
平成元年=昭和64年=1989年という答えをボードに書きました。
そしたら今回は西暦年が新しい方が手前側になるわけですが、
「え、みんなそんなに”新しい”の?( ゚д゚)ポカーン」とするぐらい最近の西暦を書く面々が。
そしたら正解は「2009年」ということで、
「2010年」と書いてたチヨマルさん・キヨミさん、「2008年」と書いてたKavaさんとハマクドーさんが4人揃ってニアピン賞獲得ということに。いやー、ハマさん、まさかの3問連続ニアピンとは(大汗)。
で、この4人の点数は、1-4位までの勝ち点を4人で割ることになったので、(10+6+4+3)÷4=5.75点ということに(実質的には2位ポイントをちょっと切る程度の獲得という次第に)。いやー小数点2位が出てくるのはこの企画でも結構珍しい(苦笑)。もっとも逆に言えば「たった1年違い」でピタリ賞のボーナス(さらに+5p)を取り逃したというのはこれまたもう(^_^;)
で、5-6位はこれまた「2005年」でひっさつ会長とかよちんさんが並んでたので、こちらも2+1÷2=1.5点ということになったのでした。
ここにリアルで放送大学で学んでた人がいたとは(^_^;)
続くQ4はこんな問題でした。
Q5:放送大学の教養学部を卒業するために必要な単位数はいくつでしょう?という問題でした。なお背景の写真は千葉市にある放送大学の学園本部らしいです。
ちなみに私は自分が20数年前に卒業した神奈川県の某私立大学法学部の単位数を思い出して「確か144ぐらいだったなあ」と「144」と書きましたが、
最も多いのがKavaさんの384単位、続いてキヨミさんの223単位で、
なぜかここでもひよしコンビが160単位・156単位とニアーな数字を書いて隣通しになってしまい、三好さん苦笑い、ひっさつさんロコツにイヤーな顔をする始末。
で、正解は「124単位」でして、
こちらはあんどうさんがピタリ賞を出して15p獲得ということに。どうも以前、放送大学を受講してたことがあるそうで…(笑)。
で、今回は1位:あんどうさん、2位:ハマクドーさん、3位:チヨマルさんの3人のみが加点ということに。しかし4問目までで、ハマさんは1→1→1T→2位と快調に加点を続けているのですが、よくよく考えてみればチヨマルさんも、2→4→1T→3…とハマさんと近いとこにいて4問連続で加点を続けている次第でした、うーんこれは結構怖い存在になるやもしれん(笑)
つづくQ5はこんな問題でした。
Q5:「ラジオNIKKEI」の前身となる「ラジオたんぱ」が、中央競馬実況中継を開始したのは西暦何年でしょう?という問題でした。
で、私・むろかつはここまでほとんど…というか、全くニアピンにかすっておらず(まあ前回の同企画で10問でわずか1点、という過去最低記録を作って内心「これは逆にネタになるっておいしいぞ、しめしめ」と思ってたぐらいの人間ですので(をい))、ただまあ見当違いだったとしても「その数字を出した理由付けだけはしっかりしておかないと」というのもありまして、その結果、「とりあえず確か民放テレビ局初の開局が日本テレビで昭和28年(=1953年)だったし、民放ラジオ局のプロレス中継とかプロ野球中継が始まったのもその頃ぐらいだと思うし、きっとその直後ぐらいかもしれないな」と、
「昭和30年=1955年」という答えを。
そしたら新しい年数の方はキヨミさんの「1980年(=昭和55年)」、ムギタンの「1975年(=昭和50年)」、ハマさんの「1974年(=昭和49年)」などなどで私は後ろから4番目ぐらいの位置に。
そしたら正解はなんと「1956年(=昭和31年)」ということで、
先程ピタリ賞を出したあんどうさんと共に1位ポイントを獲得ということに(なお得点は(10+6)÷2=7pということになりましたが)。
で、3位がチヨマルさんの「1952年(=昭和27年)」、4位が最後尾の三好さんの「1946年(=昭和21年)」で4位で打ち止めになってました。ここでハマさんは連続加点が止まったんですがチヨマルさんは未だ継続中、いやー恐るべし(苦笑)。
※ちなみにラジオたんぱ→ラジオNIKKEIはもともとは「日本短波放送」という名称でして、開局したのは1954年(=昭和29年)だったそうです。
そしてチヨマルさんが「恐るべし快記録」を静々と(?)続けてました。
Q6はこんな問題でした。
Q6:日本最古の競馬新聞である、高知競馬場の専門誌「中島高級競馬號」の創刊は西暦何年だったでしょう?という問題でした。
で、私・むろかつは「うーん、前の問題の答えをそのまんま使っちゃおうかなあ?」と思い、書き直さずに「1955年(=昭和30年)」と。で、並ぶシーンになると、いつもと違い、ほとんどの面々が手前ではなく奥の方に民族大移動していくではないかと(苦笑)。
↑まーたひよしコンビ、隣通しかよーと思ったら、ここの間に私が入ることに(笑)。なおひっさつ会長のこの「1961年」が一番新しい年数(=つまりは一番手前に立つ人)でした。
※ちなみに三好さんも前の問題の「1946年」をそのまんま使いまわしてたそうです(爆)
そしたら正解はなんと「1914年(=大正3年)」という凄まじい年代に。なお元々は高知ではなく関西方面の競馬の予想紙としてスタートしてたそうです。
で、ニアピンは奥から2番目にいたムギタンの「1920年(=大正9年)」で10p獲得、2位は「1892年(=明治25年)」と書いていたチヨマルさんが+6獲得ということに(そして加点はこの2人で打ち切りという事に)。つーか、チヨマルさん、2→4→1T→3→3→2…と序盤から6問連続で追加点に成功してますし(大汗)。
ハロウィンの時はえらい事になる「渋谷のスクランブル交差点」が…。
そしてそろそろ終盤戦に入ってくるQ7はこんな問題でした。
Q7:渋谷(駅前の)の交差点が「スクランブル交差点」になったのは西暦何年でしょう?という問題でした。
しかしここらへん、サッカーW杯本大会進出が確定した夜とか、ハロウィンとか本当にバカが集うようになって(以下略)。
で、私・むろかつは「なんか熊本市が日本初のスクランブル交差点を導入したのが1968年とかだったから、これを真似てすぐに導入はさすがに難しいかもしれんけど、なんやかんやで警視庁が「これはいい」って翌年あたりに導入したかもしれないな」ということで「1969年=昭和44年」ということに。果たして機動隊と極左ゲリラとの激しい戦いが行われた渋谷暴動事件(これが発生したのは1971年=昭和46年のことでした)の時にはこれがあったんだろうか…なんて考えながら列に。
そしたらほとんどの問題で一番大きな数字を書いていたキヨミさんが「定位置」に戻ってきてました(笑)。一番新しい年数が「1975年」で、今回はさすがに前後10年ぐらい(1965-1975年前後。つまりは「昭和40年代」近辺のあたり)でびしっと固まっておりました。
そしたら正解は、
「1973年(=昭和48年)」でした。で、かよちんさん、ご自分の生まれた年を書いていてピタリ賞の15点獲得ということになってました(笑)
で、2位の6pが三好さんの「1972年」で、3位の4pが私・むろかつの「1969年」、
で、4位がハマクドーさんとチヨマルさんの「1968年」でこちらは(3+2)÷2=2.5pずつ獲得となり、6位もあんどうさんとひっさつ会長が「1965年」で並んでいてこちらは1÷2=0.5p獲得ということになってました。そして気づけばチヨマルさん、なんと1問目から7問目まで2→4→1T→3→3→2→4…と、全ての問題で加点対象に入るというなかなか凄い記録を続けておりました。
そしてここで補助スタッフに入ってくださったばいそんさんが計算タイムを取ることになり小休止を。
で、残り3問の時点でハマクドーさん34.25p、チヨマルさん31.25pという激しい優勝争いになってることが判明しまして周囲からはどよめきも。そして3位にピタリ賞1回ニアピン1回を記録しているあんどうさんが27p、4位にたった今ピタリ賞を取ったかよちんさんの20.5p…と、ラストがポイントが倍ということも考えるとまだまだわからんような感じになってきたのでした。
次回はラスト3問をお送りします。そしていつもの「解説と補足と余談」なども。以上です。
(Text by むろかつ(番頭役))
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